あめつち
手習詞(てならいことば),すなわち手習いのはじめに異なった仮名(かな)を覚えるための詞の一つで,平安初期に行われ,48字よりなる。〈あめ(天)つち(地)ほし(星)そら(空)やま(山)かは(川)みね(峰)たに(谷)くも(雲)きり(霧)むろ(室)こけ(苔)ひと(人)いぬ(犬)うへ(上)すゑ(末)ゆわ(硫黄)さる(猿)おふせよ(生ふせよ)えのえを(榎の枝を)なれゐて(慣れ居て。一説に〈汝(なれ)堰手(ゐで)〉)〉。〈えのえ〉と〈え〉が重複しているのは,平安初期にア行のエ[e]とヤ行のエ[je]との音韻の別があったことを反映しており,〈榎〉のエはア行,〈枝〉のエはヤ行にあたる。つまり当時,清音濁音を合併すると48の音節が区別されていた結果48字の手習詞が行われたので,《宇津保物語》国譲巻に〈あめつち〉の語が見える。《源順集》に〈あめつち〉の歌48字をそれぞれ歌の初めと終りにおいた歌48首があるが,ア行ヤ行のエの別は示されていない。源順の弟子源為憲の《口遊(くちずさみ)》(970ころ成立)に〈今案,世俗誦阿女都千保之曾,里女之訛説也(今案ずるに,世俗〈あめつちほしそ〉と誦するは,里女の訛説なり)〉とあるのは順,為憲の時代にア行ヤ行のエがすでに合一していたことを示すものである。
→いろは歌
執筆者:大野 晋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
あめつち
すべての仮名を、同じ仮名を繰り返さずに読み込んだ48字の誦文(しょうぶん)。全文は次のとおりである。
あめ(天) つち(地) ほし(星) そら(空) やま(山) かは(川) みね(峰) たに(谷) くも(雲) きり(霧) むろ(室) こけ(苔) ひと(人) いぬ(犬) うへ(上) すゑ(末) ゆわ(硫黄) さる(猿) おふ(生)せよ え(榎)の え(枝)を な(馴)れ ゐ(居)て
「おふせよ」以降は意味がとりにくく、別の漢字をあてる説もある。48字あるのは、ア行の「エ」とヤ行の「エ」を区別しているためであり、その点から、その二つが音韻として区別されていた時代につくられたものであることがわかる。したがって47字の「いろは歌」より古いものであり、おそらく平安時代初期に作成されたものと考えられる。作者、当初の作成目的などは不明であるが、なんらかの形で五十音図を改編してつくられたものであろう。また「いろは歌」が一般化するまでは「難波津(なにわづ)の歌」と並んで手習い用に使われていた。
[近藤泰弘]
『大矢透著『音図及手習詞歌考』(1918・大日本図書/復刻版・1969・勉誠社)』▽『小松英雄著『日本声調史論考』(1971・風間書房)』
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あめつち
48のかなを繰返すことなく網羅してできた誦文。「あめ (雨) ,つち (地) ,ほし (星) ,そら (空) ,やま (山) ,かは (川) ,みね (峯) ,たに (谷) ,くも (雲) ,きり (霧) ,むろ (室) ,こけ (苔) ,ひと (人) ,いぬ (犬) ,うへ (上) ,すゑ (末) ,ゆわ (硫黄) ,さる (猿) ,おふせよ (生ふせよ?) ,えのえを (榎の枝を?) ,なれゐて (馴れ居て?) 」が全文 (かっこ内は推定意味解釈) 。「え」が2回出てくるのはア行のエ[e]とヤ行のエ[je]にあたり,この2つが音韻的対立を保っていた時期にできたものとみられる。手習詞 (てならいことば) として用いられた。ただし,制作の目的は漢字音の四声の学習のためとする説がある。「おふせよ」以下が意味不通のためか,やがてたゐにの歌に取って代られた。
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世界大百科事典(旧版)内のあめつちの言及
【源順】より
…当代の代表歌人として多くの歌合に出詠し,966年(康保3)《源順馬毛名歌合》という馬の毛色や毛並みを歌で競う異色の歌合を主催したり,972年(天禄3)《規子内親王家歌合》には判者をつとめて判詞,判歌をしるしている。家集に《源順集》があり,その中に,仮名を覚えるための手習い詞〈[あめつち]の歌〉や盤の桝目形に歌を組み合わせてゆく〈双六盤歌〉〈碁盤歌〉など,機知的な技巧を発揮した言葉遊びの作がみられ,当時の新風を導く存在であったことが知られる。当時の受領身分の歌人たちに共通する不遇感をうたう詠も多く,〈しらけゆく髪には霜やおきな草言の葉もみな枯れはてにけり〉(《源順集》)などの自嘲的な歌もある。…
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