( 1 )平安時代には単に「五音(ごいん)」といい、鎌倉時代の「悉曇輪略図抄」では「五韻十音図」といい、江戸時代初期の韻鏡刊本等には「五音拗直之図」とある。しかし、これらの時代を通じて「五音」が一般的で、近世、「五音図」とも呼ばれた。
( 2 )古くから仮名遣い、活用、語源などの説明に用いられてきた。平安時代中期にその起源はあり、悉曇学(しったんがく)の影響で成立したとも、漢字音の反切(はんせつ)のためにできたともいわれている。行段の順序は、当初一定していたわけではない。
( 3 )現存最古の音図は醍醐寺蔵「孔雀経音義(くじゃくきょうおんぎ)」に付記されたもので、寛弘元~長元元年(一〇〇四‐二八)頃成立した。「イ」「エ」はそれぞれア行とヤ行に両出し、「ウ」はア行とワ行に両出しているが、当時の音韻で両行の「イ」「ウ」「エ」に区別はなかったと見られる。「オ」と「ヲ」の発音は鎌倉時代に区別されなくなり、五十音図上で「オ」と「ヲ」とが誤って転換したものが江戸時代まで普通に用いられた。
( 4 )「ン」は図中に収められないが、現代では、これを張り出しわくに入れて示すことがある。最近では、ヤ行に「イ」「エ」を書き入れず、ワ行を「ワ」だけとし、または「ワイウエオ(ヲ)」のように改めたものがある。五音図。反音図。仮名反(かながえし)の図。五十連音図。五十音。
仮名5字ずつ1組を縦に1行とし,横に10組をつらねた,総数50の仮名をふくむ図。古くは,ただ〈五音(ごいん)〉とか,〈五音図〉〈反音図〉〈仮名反(かながえし)〉などとよび,江戸時代になって〈五十音〉の名がおこり,和風に〈いつらのこえ〉といったり,また〈五十聯音図〉などともいった。通常は図のように右から左に進むものとして書かれる。五十音図を横書きに書くことは,古くはほとんどなかった(ローマ字横書きの書物の中では,イエズス会士ロドリゲスの《日本小文典》中の五音のような横書例はみられる)。五十音図の仮名の配置のうち,すでに早くオとヲは平安時代から,イとヰ,エとヱは室町時代に,互いに位置が入れかわった図が作られていた。発生時の正しい姿が,現在のように復古し一定したのは,浄厳,契沖,富士谷成章,本居宣長らの研究を経てからである。現在学習用や文法書の活用の説明のための図には,手が加えられているものが多く,末尾に〈ン〉(〈ん〉)をつけたのは字母表としての完全を考えたものらしいが,本来は存しない。
五十音図の縦の5字1組を行(ぎよう)といい,横の10字1組を段(だん)または列(れつ)とよぶ。各行各段は,その頭初の字を上につけてア行カ行サ行,ア段イ段ウ段とよぶ。用いられる仮名のひとそろいは,万葉仮名・平仮名・片仮名どれでも,実例がある。起源に即してみると片仮名が多く,現代の実用では平仮名が多くなっているが,〈いろは〉は平仮名,〈五十音〉は片仮名というのが従来の常識であった。登録される仮名の字種は〈いろは〉と同じく,47個で,そのうちイ・ウ・エは,いずれも2度あらわれて,延べで50個である。ほぼ全部の仮名の字種が一定の配列をもって並んでいる点で,字母表の一種であり,明治以後は〈いろは〉にとって代わって,アルファベットとほぼ同じような実用的な有用性を活用されている。いわゆる五十音順(アイウエオ順)がそれで,右から左に1行1行追ってとなえる順を用い,ア段イ段ウ段と横に行く順を用いることはほとんどない。
この五十音図は,日本語の音節表として見られることもあるが,十分なものではなく,いわゆる濁音・半濁音・拗(よう)音・促(そく)音・撥(はつ)音については,この図のうちのどの一字も,単独で本来それらを十分にあらわしうる機能をもたないし,現代語音ではエとヱ・イとヰ・オとヲの3対は,互いに音の区別を反映していない。しかし,この伝統的な五十音図の拡充という方法によって,日本語の音節表が作成されることが多いのは,その組織が,字の発音の共通性に従って,縦横に整備しているからで,古来,語源,語釈,てにをは,仮名遣い,活用など国語の研究において尊重された歴史的事実と照応するが,さらにこの図の発生,伝承,実用の沿革が有用性をよく物語る。現存最古の図は醍醐寺蔵の《孔雀経音義(くじやくきようおんぎ)》に見えるもので11世紀初めのものであるが,その起源について悉曇(しつたん)から出たという説(大矢透),国語のために作られたのではなく,外国語学ことに漢字音の反切(はんせつ)のために作られたとする説(橋本進吉),儒家に端を発し,反音を簡明に示すために仮名を用いた図が,日本の語音の組織を明らかにするに足るものに発展したとする説(山田孝雄),悉曇反音を理解しやすくするために悉曇章のひな形を示すものとして作ったとする説(小西甚一)などがあるが,発生の契機や,その後の整備の目的とか暗示,また実用例の多様性を考えると,作者を吉備真備(きびのまきび)個人に帰する伝説が疑わしいことは当然にしても,現存の資料だけからは,決定的な断案が下されない。とにかく,古い図では,行・段の順がまちまちであり,悉曇の母音,子音の順に暗示を得た整理の事実は判然としているが,根底に漢字音や国語の音についての省察が存したことも疑うことができない。
→仮名 →国語学
執筆者:山田 俊雄
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50字の仮名を、縦に5字ずつ10行に並べた図表。
古くは「五音」「五音五位之次第」などともよばれた。また、縦の5字を「行」といい、横の10字を「段(または列)」という。古くは片仮名や万葉仮名で書かれるのが例であったが、近年では平仮名で書かれることも多い。
五十音図は、原理としては、それぞれの仮名の発音のうち、子音要素の共通するものを行に、母音要素の共通するものを段にまとめたものである。したがって、本来は50の異なった発音を示しているべきであるが、現在では同音となって区別のないものも多く(イとヰなど)、音節の一覧表としては不十分なものとなっている。また、古くさかのぼっても、ヤ行のイ、ワ行のウなどは、ア行のものと別の音韻として存在したことは確かめられていない。しかし、日本語における各種の音韻変化や、活用形にみられる音韻交替(あめ―あまがさ、書かない、書きます等)を説明する表としてきわめて便利なものであり、現在でもヤ行・ワ行を改編した形で学校教育を中心として広く用いられている。さらに、仮名をすべて含んでいて体系的で記憶しやすいことから、辞典・名簿などで語の配列の基準(五十音順)として用いられている。
現存する最古の五十音図は、醍醐(だいご)寺蔵の『孔雀(くじゃく)経音義』(平安時代末期写)に付記されたものである。これは行も段も現行の順序とは異なり「キコカケク」から始まっている。このように、古い時代のものは配列の順序が一定せず、現在の形に一定したのは南北朝時代以降のことである。なお、現在の順序は明らかに悉曇(しったん)章(サンスクリットの字母表)に基づくものであるが、五十音図の起源自体は、むしろ日本語の音韻表あるいは漢字音の反切(はんせつ)の便宜のためにつくられたものとみられている。成立年代は平安時代の初期であり、おそらく僧侶(そうりょ)の学問研究の世界で生まれたものであろう。
[近藤泰弘]
『大矢透著『音図及手習詞歌考』(1918・大日本図書/復刻版・1969・勉誠社)』▽『山田孝雄著『五十音図の歴史』(1938・宝文館)』▽『橋本進吉著『国語音韻の研究』(1950・岩波書店)』▽『馬淵和夫著『日本韻学史の研究』(1963・日本学術振興会)』
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日本語の字母表。「いろは」47字からなり,イ・ウ・エがそれぞれ2カ所に重複する。縦の段を行,横の段を列・段という。同じ母音の音節を横に,類似の子音の音節を縦に並べてある。古くは五音・五音図・五重聯・五十連音などといった。10世紀頃の成立とされ,醍醐寺蔵本「孔雀経音義」の巻末に「キコカケク,シソサセス,チトタテツ,イヨヤエユ,ミモマメム,ヒホハヘフ・ヰヲワヱウ,リロラレル」が記されている。現存最古の完全な文献は「金光明最勝王経音義」(1079成立)である。明治初期に「いろは」のかわりに字母表としての地位を確立した。辞書などの見出し語の配列の基準として用いられる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…それらは,直接,明治の国語学に摂取されて,その実質を形づくっている。
[国学以前]
今日の五十音図の原形は,平安時代の中期から後期にかけて作られたと思われる。これは,それ自体,日本語の音韻組織を明らかにしたものであるとともに,いろいろと,後世まで,国語研究の基礎として利用された。…
※「五十音図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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