日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカン・キャン」の意味・わかりやすい解説
アメリカン・キャン
あめりかんきゃん
American Can Company
かつてアメリカ最大の製缶メーカーとして知られたが、史上まれにみる業態転換により、1987年、証券・生命保険などを主軸とする金融サービス企業プライメリカPrimerica Corp.となり、その後の再編の過程で大手消費者金融サービス会社のコマーシャル・クレジットCommercial Creditによる買収、トラベラーズTravelers Inc.への社名変更を経て、現在はシティグループの傘下にある。
[田口定雄]
アメリカン・キャン
19世紀末にアメリカで展開された大規模なトラスト(企業合同)運動の流れのなかで、1901年3月、製缶メーカー60社あまりの大合同によりアメリカン・キャンが設立された。当時、全米に123の工場をもち、缶詰用の缶の製造販売に加え、缶詰メーカーへの缶詰密閉機械の販売またはリースにより、とくに第一次世界大戦にかけて急成長した。1912年以降は独占禁止法で訴えられたため、同業他社を合併することなく発展を続けた。第二次世界大戦の戦時景気でふたたび急激に伸び、戦後はプラスチック容器、紙容器、ガラス容器製造にも進出した。1957年のディキシー・カップ(紙容器製造会社)とマラソン(紙・パルプ、紙加工製品会社)の買収をはじめ、内外の関連企業を買収して多角化に乗り出し、1960年代後半から1970年代にかけては化学、石油化学、薬品、さらにはレコード・音響機器販売チェーン(1978年のサム・グッディ買収)などに進出した。
[田口定雄]
金融サービス業への転換
1980年代に入ると、経済のサービス化の流れを読んで、金融サービス分野への転換が図られ、1982年に経営陣に加わった、かつての敏腕ファンドマネージャーのツァイ(のち会長兼CEO=最高経営責任者)の主導のもと、生命保険、損害保険、住宅抵当証券などの企業を次々に買収する。一方、1982年4月の紙・林産製品部門の売却を皮切りに、製造業から相次いで撤退、1986年11月にはかつての本業だった製缶事業をも売却した。1987年3月、社名をプライメリカと改称するとともに、同年5月、株式非公開の名門証券会社スミス・バーニーSmith Barney Holdings Inc.の買収を発表した。
しかし、1987年秋の株価暴落を契機に、傘下のスミス・バーニーの業績が悪化、小売りチェーン売却などプライメリカ自身の再編を余儀なくされる。この過程で1988年8月、コマーシャル・クレジットにより買収されるが、合併会社はプライメリカの名称を引き継ぎ、証券、クレジット、生命保険を含む総合金融サービス会社になった。
[田口定雄]
1990年代の再編
プライメリカは、1993年3月、アメリカン・エキスプレスから証券子会社シェアソン・リーマン・ブラザーズを買収、スミス・バーニーと合併させてスミス・バーニー・シェアソンを発足させた。プライメリカはさらに同年12月、大手保険会社のトラベラーズを買収、総合金融サービス会社トラベラーズ・グループを形成した。同社はさらに1997年、世界的な投資銀行・証券業務を手がけるソロモン・ブラザーズをも買収、傘下の事業と統合してソロモン・スミス・バーニーを発足させる。しかし、このトラベラーズ・グループも1998年10月、大手銀行持株会社のシティコープと合併、現在はシティグループの傘下に入っている。
[田口定雄]