ブラッドリー(読み)ぶらっどりー(英語表記)James Bradley

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラッドリー」の意味・わかりやすい解説

ブラッドリー(James Bradley)
ぶらっどりー
James Bradley
(1693―1762)

イギリス天文学者。恒星の光行差と地球の章動との発見者。1711年オックスフォード大学で神学を修得したが、少年時代から叔父の趣味の影響を受けて天体観測に熱中、1718年に王立協会会員に推薦された。1721年母校の天文学教授に任命されるに及んで聖職を離れ、1742年グリニジ天文台第3代台長に就任すると同時に、施設を改新し、恒星観測の長期計画をたてた。その成果は1798年と1805年に2巻の恒星表の刊行となり、6万余個の恒星を収録した。恒星位置には、1727年に発見した光行差と、1747年ごろに発見した章動との補正が施されている。この光行差と章動との発見はともに恒星の年周視差の検証を目ざして精進した副産物である。前者は光速度と地球公転速度との合成現象と解釈し、後者は月の摂動を受けた地球自転軸の18.6年周期振動と説明し、ともに地動説の実証となった。また光行差の値20.5秒角から、光速度を秒速30.8万キロメートルと算定した。

[島村福太郎]


ブラッドリー(Francis Herbert Bradley)
ぶらっどりー
Francis Herbert Bradley
(1846―1924)

イギリス・ヘーゲル学派哲学者。オックスフォード大学特別研究員。絶対的観念論を提唱し、時間、空間、自己などの日常的概念と物自体などの哲学的概念はいずれも実在の仮象を表す「自己矛盾的」な概念であるが、直接的経験または純粋感情に現れる絶対的超個人的経験を通じて、思惟(しい)における対立や矛盾を超えた高次の総合を達成することができると論じる。ミルの功利主義を批判し、ヘーゲルの人倫Sittlichkeitの概念を発展させて、自我実現説self-realizationを説く。また推論の基盤が「普遍」であることを強調し、伝統的論理学、帰納的論理学、経験論的論理学を批判した。主著は『仮象と実在』Appearance and Reality(1893)。

[宮下治子 2015年7月21日]


ブラッドリー(Omar Nelson Bradley)
ぶらっどりー
Omar Nelson Bradley
(1893―1981)

アメリカの軍人。ミズーリクラーク生まれ。陸軍士官学校陸軍大学校などに学ぶ。第二次世界大戦中に米陸軍野戦司令官として活躍し、北アフリカシチリアを転戦後、1944年6月のノルマンディー上陸作戦ではアイゼンハワー総司令官のもとで米第一軍を指揮。大戦後、復員軍人局長官を経て、1948年2月アイゼンハワーの後任として陸軍参謀総長に就任。1949年8月~1953年初代統合参謀本部議長を務めた。この間、1950年に元帥に昇進。1953年8月に退役し、その後はブローバ時計会社会長の職にあった。

[藤本 博]


ブラッドリー(Andrew Cecil Bradley)
ぶらっどりー
Andrew Cecil Bradley
(1851―1935)

イギリスの文学者批評家。哲学者F・H・ブラッドリーの弟。シェークスピア学者として傑出し、シェークスピアのいわゆる四大悲劇を分析する『シェークスピア悲劇』(1904)は精緻(せいち)な性格論と悲劇の哲学的洞察により斯学(しがく)に一時期を画した。母校オックスフォード大学の詩学教授を務め(1901~06)、その『詩学講義集』(1909)も好著。

[冨原芳彰]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラッドリー」の意味・わかりやすい解説

ブラッドリー
Bradley, James

[生]1693.3. グロスターシャー,シャボーン
[没]1762.7.13. グロスターシャー,チャルフォード
イギリスの天文学者。オックスフォード大学で神学を学び,教区牧師となる (1719) 。叔父の指導によって天文学研究を始め,E.ハレーとも親交があった。ロイヤル・ソサエティ会員 (18) ,オックスフォード大学天文学教授 (21) ,グリニッジ天文台台長 (42) 。精密観測によって発見した恒星の見かけの位置の2種の周期的変化のうち,一方が地球の公転速度と光速度との合成効果によるものであり (光行差の発見。 28年にロイヤル・ソサエティ報告) ,他方が月の引力による地球自転軸の方向変化 (章動 ) によるものであることを突止めた。 1748年ロイヤル・ソサエティからコプリー・メダルを受ける。

ブラッドリー
Bradley, Omar N(elson)

[生]1893.2.12. ミズーリ,クラーク
[没]1981.4.8. ニューヨーク
アメリカの陸軍軍人。ブラドレーとも表記される。 1915年陸軍士官学校卒業。第2次世界大戦では,師団長を経て,43年第2軍団長として北アフリカ作戦に従事,チュニジアを解放,さらにシチリア島に侵攻した。同年イギリスに転じ,第1軍司令官としてフランス解放作戦に参加,44年6月ノルマンディー上陸作戦に成功,パリを解放したあと,第 12軍集団最高司令官としてフランス,ベルギー,オランダ,ドイツ,チェコスロバキアを制圧した。 49年戦後初代統合参謀本部議長。 50年陸軍元帥。 53年退役後は,ブローバー時計会社社長に就任。著書に『回想録』A Soldier's Story (1951) がある。

ブラッドリー
Bradley, Francis Herbert

[生]1846.1.30. サーリー,クラファム
[没]1924.9.18. オックスフォード
イギリスの哲学者。オックスフォード大学に学び,1870年マートン・カレッジの研究員となり,病弱のため生涯この地位にとどまった。ヘーゲルらのドイツ観念論の影響を受け,J.S.ミルの功利主義や功利主義的倫理学に反対した。主著『論理学原理』 Principles of Logic (1883) ,『仮象と実在』 Appearance and Reality (93) ,『真理と実在』 Essays on Truth and Reality (1914) 。

ブラッドリー
Bradley, Andrew Cecil

[生]1851.3.26. グロスターシャー,チェルトナム
[没]1935.9.2. ロンドン
イギリスの文学研究者,批評家。 F.H.ブラッドリーの弟。オックスフォード大学で哲学を学び,のち英文学研究に転じ,リバプール大学の近代文学教授,グラスゴー大学の英語英文学教授,オックスフォード大学の詩学教授を歴任。四大悲劇を論じた『シェークスピアの悲劇』 Shakespearean Tragedy (1904) はシェークスピア批評に新紀元を画した。

ブラッドリー
Bradley, Henry

[生]1845
[没]1923
イギリスの言語学者。『オックスフォード英語辞典』の編者の一人,のちにその主幹。著書に『英語の成立』 The Making of English (1904) 。

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