デジタル大辞泉 「アヤソフィア」の意味・読み・例文・類語
アヤソフィア(Ayasofya)
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537年、ビザンツ帝国時代にギリシャ正教の大聖堂としてコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に完成。巨大なドームを天井とし、ビザンツ建築の最高傑作と呼ばれる。1453年、オスマン帝国のメフメト2世による征服後はイスラム教のモスク(礼拝所)となった。トルコ建国後、1934年の閣議決定で博物館と定められ、翌年から公開。今月10日、最高行政裁判所が閣議決定は無効と発表し、エルドアン大統領が再びモスクとすることを決定した。(イスタンブール共同)
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(2020-7-14)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… 1453年5月29日,40日余の激戦の末,オスマン帝国軍は市壁を破って入城し,ビザンティン帝国は滅亡した。オスマン帝国のスルタン,メフメト2世は,ただちにこの町を帝国の新しい首都とするとともに,その名をイスタンブル(ギリシア語で〈町へ〉を意味するイスティンポリンIstinpolinに由来する)と改名し,ハギア・ソフィアをモスクに改築(現,アヤ・ソフィア)させた。スルタンは,これにつづいて新首都の再建事業に乗り出し,まず征服後市内にふみとどまった旧市民の生命・財産の安全を保証するとともに,アナトリアとバルカン領土内に住むトルコ人,ギリシア人,アルメニア人,ユダヤ人,ブルガリア人,セルビア人などの富裕な商人や職人を強制的に移住させた。…
…532年起工,537年献堂。1453年コンスタンティノープル陥落後,4本のミナレット,ミフラーブ,スルタンのためのマクスーラ(仕切席)などが加えられてモスクに転用されアヤ・ソフィアAyasofyaと呼ばれた。これがオスマン・トルコ建築に与えた影響は少なくない。…
※「アヤソフィア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」