ハギアソフィア(その他表記)Hagia Sophia[ギリシア]

改訂新版 世界大百科事典 「ハギアソフィア」の意味・わかりやすい解説

ハギア・ソフィア
Hagia Sophia[ギリシア]

トルコイスタンブールに残るビザンティン建築の代表的遺構。〈ハギア・ソフィア〉は〈聖なる叡智〉の意。325年にコンスタンティヌス1世(大帝)が建設(360年献堂)したが,その後のたび重なる火事と地震による崩壊と増改築を繰り返した。現存する遺構は,6世紀の建築家・技術者トラレイスのアンテミオスAnthemiosとミレトスイシドロスIsidōrosの設計によりユスティニアヌス1世(大帝)が建造したバシリカ形式と集中式プランを組み合わせたユニークな煉瓦・石造建築である。532年起工,537年献堂。1453年コンスタンティノープル陥落後,4本のミナレット,ミフラーブ,スルタンのためのマクスーラ(仕切席)などが加えられてモスクに転用されアヤ・ソフィアAyasofyaと呼ばれた。これがオスマン・トルコ建築に与えた影響は少なくない。1935年以降は博物館として使用。

 ハギア・ソフィアは,アトリウム(前庭),エクソナルテックス,ナルテックス,大ドーム(563年再建。直径33m。ペンデンティブの上に載せられた大ドームの荷重は,大ドームと同じ直径をもつ東西の半ドーム,その左右の小半ドーム,南北のアーチ,4本の巨柱に分散される)を中央に架けた三廊部,アプス(後陣),側廊上部のトリビューン階上廊)などから成る,正方形に近いプランをとる。内部は大理石とガラス・モザイクで装飾されている。モザイクは9~13世紀のもので,1930年以来アメリカのイスタンブール・ビザンティン考古学研究所の調査修復によって,その全貌が明らかにされつつある。それはユスティニアヌス帝時代の抽象的作風のモザイク(唐草文,組紐文,十字架など)とイコノクラスム期(8~9世紀)以降の図像的モティーフを中心としたものとに分けられる。その多くは,奥行きのない金色の空間に陰影・動勢を欠いた図像をシンメトリカルに構成したものである。代表的なモザイクには〈聖母と大天使〉(876ころ),〈アレクサンドロス大王の肖像〉(912ころ),〈キリストと皇帝コンスタンティヌス2世,皇妃ゾエ〉(11世紀),〈皇帝ヨアンネス2世と皇妃イレネ〉(12世紀),〈デエシス(キリストの坐像,聖母マリアとバプテスマのヨハネの立像)〉(13世紀末)などがある。このほか彫刻として,ユスティニアヌス帝時代にビザンティン帝国全土に伝播したいわゆる籠形の浮彫柱頭が重要である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハギアソフィア」の意味・わかりやすい解説

ハギア・ソフィア
はぎあそふぃあ
Hagia Sophia

トルコのイスタンブールにある聖堂建築。この地がビザンティン帝国の都としてコンスタンティノポリスとよばれていた6世紀の建造。1453年以降トルコの支配下に入ってイスラム教のモスクとなり、四基のミナレットが加えられ、アヤ・ソフィアとよばれることとなったが、もとはハギア・ソフィア大聖堂と称されたビザンティン建築の傑作である。「ハギア・ソフィア」とは「神聖なる叡知(えいち)」、つまり聖三位(さんみ)一体の第二のペルソナであるロゴス、キリストをさしたものと思われる。4世紀のコンスタンティヌス帝と後継者の時代に建造された聖堂(360年献堂式)が532年のニカの反乱によって破損したのち、ユスティニアヌス帝(在位527~565)はまったく新しい設計に基づいて再建を開始した。設計はトラレスのアンテミウスとミレトスのイシドロスがあたり、100人の監督の下に1万人の工人が働いて5年10か月で完成した。当時としては異例の速さであり、537年12月7日に献堂式が行われた。基本的にはラテン十字形プランの三廊式バシリカに大円蓋(えんがい)をかぶせた円蓋式バシリカ型聖堂であるが、中央に大円蓋を置くという当時の建築家の夢を実現させるために、奥行77メートル、幅71.7メートルとほぼ正方形のギリシア十字形プランに近い。直径33メートル、床面からの高さ56メートルの大円蓋の重さを支えるために4本の大支柱と大アーチ、三角穹隅(きゅうぐう)を採用、東西に円蓋と同じ幅をもつ2個の半円蓋を設置するなど、独創的な構造が認められる。献堂式に臨んだ皇帝は深く感動し、「おおソロモンよ、われ汝(なんじ)に勝てり!」と叫び敬虔(けいけん)な祈りを捧(ささ)げたという。

 現在は無宗教の博物館になっているが、20世紀に入ってのアメリカ考古学隊の清掃作業により、イスラム教支配下の長い間漆食(しっくい)に覆われていたモザイク壁画が次々と姿を現した。しかし献堂当時のものは装飾モチーフなどのわずかなものにすぎず、ほとんどはイコノクラスム(聖画像破壊運動)終結後の9世紀以降のものである。

[名取四郎]


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百科事典マイペディア 「ハギアソフィア」の意味・わかりやすい解説

ハギア・ソフィア

トルコのイスタンブールにあるビザンティン建築の代表的遺構。ギリシア語で〈聖なる叡智〉の意。ユスティニアヌス帝が537年献堂したものが現存。ビザンティン諸皇帝の廟(びょう)所であったが,15世紀にトルコのモスクとなり,1935年以降は博物館。集中式プランとバシリカ式プランの融合を特色とし,壁面は多色大理石と金地モザイクで飾られている。
→関連項目イスタンブールビザンティン帝国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハギアソフィア」の意味・わかりやすい解説

ハギア・ソフィア[イスタンブール]
Hagia Sophia, Istanbul

トルコのイスタンブールにある代表的なビザンチン建築の大聖堂。 532~537年東ローマの皇帝ユスチニアヌス1世がアンテミウス,イシドロスに設計させ,首都コンスタンチノープルに建立。東ローマ教会の聖堂であったが,東ローマの滅亡によりイスラムのモスクに改装されてアヤ・ソフィアと呼ばれ,1935年からは美術館となっている。巨大な4本の支柱で中央大ドーム (558~563再建) を支え,前後面に半ドーム,四隅にミナレットを配している。内部装飾にはモザイク,大理石が使用されている。モザイクはもと漆喰壁に塗りつぶされていたが,34年アメリカの調査団によって発見され,原形に修復されつつある。 16世紀中葉頃以降,この聖堂を模倣した多くのモスクが建てられた。

ハギア・ソフィア[セサロニキ]
Hagia Sophia of Thessaloníki

ギリシアのセサロニキ地方にある聖堂。8世紀初めに建立,1589年以来イスラムのモスクとなった。ギリシア十字形の身廊部の中央に円蓋がかかり,内部は旧約聖書に取材した9世紀終りから 11世紀初めのモザイクで飾られていて,初期ビザンチン美術の代表作として知られている。

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世界大百科事典(旧版)内のハギアソフィアの言及

【トラブゾン】より

…【長場 紘】
[美術]
 トレビゾンド帝国時代にその首都として繁栄し,多くの教会堂が建立・再建され,また既存の教会堂が壁画で飾られたが,現在,そのすべては廃墟と化するかモスクに改修されるかしている(9世紀建立の市最古の聖アンナ教会(壁画は14世紀),〈金曜モスク〉として改修された聖エウゲニオス教会,旧主教座教会クリュソセファロス)。しかし,ほぼ完全に残されて当時の隆盛を伝える唯一のものに西郊のハギア・ソフィア教会がある。同教会は1204年ころバシリカ式教会として建立され,13世紀中ごろマヌエル1世の統治期に円蓋を有するギリシア十字型プランに改築され,壁画で飾られた。…

【イスタンブール】より

…コンスタンティヌスの街は,まだ建設途上の330年5月11日開都式を挙げ,第4回十字軍の占領期(1204‐61)を除き,1453年5月29日オスマン帝国のスルタン,メフメト2世の入城まで,ローマ・ビザンティン帝国の首都として,たび重なる異民族の攻撃に対し不落を誇った。 西方のローマに見合うこの東方の新首都づくりのため,コンスタンティヌス帝は市域を4倍の6km2に拡大してそれを城壁で囲い,セウェルスが着工した競馬場(5万人収容)を完成するとともに,かたわらのフォルム・アウグスタエオンを中央広場としてそこに元老院建物,迎賓館,宮殿(12世紀に首都北隅のブラケルナイ宮殿に宮廷が移るまで,歴代皇帝によって,改修・拡張された)などを建て,聖ソフィア教会(ハギア・ソフィア)建設用地を定め(ユスティニアヌス1世のとき実現),また円形のコンスタンティヌス広場を都市生活の中心としてそこに都市行政のための第二元老院建物,大バシリカ,官庁などを設け,城壁近くに聖使徒教会堂(アポストレイオン)を建てて,歴代キリスト教ローマ皇帝(ビザンティン皇帝)の廟墓に定めた。その他,郊外の水源から宮殿まで水道を引き,エジプトからの穀物荷揚げのため,エレフテリオス港をつくった。…

【七不思議】より

…これらのうち若干は,アレクサンドリアのファロス島の灯台,エピダウロスのアスクレピオス像などと入れ替えられることがある。後世にはローマのカピトリウム神殿やコロセウム,コンスタンティノープルのハギア・ソフィア寺院,ノアの箱舟,エルサレムの〈ソロモンの神殿〉などが入れられたりした。なおギリシア語のtheamataは〈眺めるべきもの〉という意味で,〈不思議〉という意味は含まれていないが,ラテン語ではSeptem Miraculaと訳されたため,英語でもSeven Wondersとなった。…

【ビザンティン美術】より

…こうして,西ヨーロッパ方面では円蓋建築が軽視されたのに対し,東方ビザンティン社会ではバシリカ式建築にまで円蓋を架すことが行われたのである。その最も代表的なものとしてコンスタンティノープルのハギア・ソフィアがある。 これはユスティニアヌス1世がアジア出身の2人のギリシア建築家,すなわちトラレスTralles(リュディア)のアンテミオスAntemiosおよびミレトスのイシドロスIsidōrosに命じて,費用を惜しまずに建てさせたもので,その完成は537年であった。…

※「ハギアソフィア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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