精選版 日本国語大辞典 「最後の晩餐」の意味・読み・例文・類語
さいご【最後】 の 晩餐(ばんさん)
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イエス・キリストが受難と死の前夜に使徒たちとともにした晩餐。『新約聖書』の「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」(26章20~29)、「マルコ伝福音書」(14章17~25)、「ルカ伝福音書」(22章14~23)の3福音書が、このできごとを報じている。それによれば、イエス・キリストは捕らえられ、十字架につけられる前日、12人の使徒と夕食をともにし、ユダの裏切りを皆に告げ、またパンとぶどう酒を祝し、「取って食べなさい。これはわたしの体である」「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪がゆるされるように、多くの人のために流すわたしの血、契約の血だからである」ということばで、聖体の秘蹟(ひせき)を制定した。
[大谷啓治]
レオナルド・ダ・ビンチの壁画(ミラノ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院食堂)に代表されるように、美術のうえでも重要な主題となっている。福音書の記述に明らかなように、晩餐のエピソードは、前半ではイスカリオテのユダの裏切りの告発が語られ、ユダが去ったあとの後半部分は聖餐の儀式を象徴したものとなっている(マタイ26章、マルコ14章、ルカ22章)。12世紀からルネサンス期へと至る時代の晩餐図をみると、西ヨーロッパの美術では、「アーメン、わたしは言う、あなた達(たち)の一人がわたしを売ろうとしている」というイエス・キリストのことばに揺れ動く使徒たちの劇的な場面として描かれている。
一方、東ヨーロッパのビザンティン美術では、福音書の記述の後半部分に焦点をあわせて、聖餐の儀式としての晩餐図が描かれている。しかし西ヨーロッパにおいても16世紀後半のトレント公会議ののちは、ユダの裏切りの告発という史伝的な場面設定をやめて、聖餐図としての最後の晩餐図に傾いてゆく。
[名取四郎]
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キリスト受難前の最後の弟子たちとの夕食。そこで聖餐(聖体)の秘蹟(ひせき)(サクラメント)が定められた。古代以来美術の題材となり,レオナルド・ダ・ヴィンチの作品(1497年)が最も有名である。
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…ガリラヤのカナCanaという町の婚礼に聖母マリアや弟子たちとともに招かれたイエスは,宴のブドウ酒が尽きたことを聖母から知らされ,6個の水がめに注いだ水を良質のブドウ酒に変える。この奇跡はパンと魚の奇跡とともに最後の晩餐を示唆するものと解釈され,早く(4世紀ころ)から美術に表現された。キリストが手に持った杖で傍に並べられたかめにふれている表現(ローマ,サンタ・サビーナ聖堂の木製扉の浮彫など)が見られ,やがて聖母の姿が加わり,10世紀ころから,この主題はテーブルを囲む祝宴の情景として表現されるようになった。…
…ここに最初の教会的自覚の誕生があるといえる。地上のイエスとのつながりは,〈最後の晩餐〉を宗教的生の象徴としての愛餐(アガペー)という共同食事に結びつけることで保たれた。この象徴化は精神化と物質化とを同時にもっているが,サクラメントの制定という法的なものではない。…
…《ヨハネによる福音書》は父親の名はシモン(6:71ほか)で,ユダ自身はイエスの弟子グループの会計係であったと伝えている(12:6)。《マタイ》《マルコ》《ルカ》のいわゆる〈共観福音書〉の叙述では,金銭と交換にイエスをひき渡すことをあらかじめ祭司長たちに約束し,〈最後の晩餐〉の後イエスほか一同がゲッセマネの園に来たところで“接吻をもって”裏切っている。この叙述の細部はともかくとして,裏切りの事実性は疑われえない。…
※「最後の晩餐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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