改訂新版 世界大百科事典 「アラジャヒュユク」の意味・わかりやすい解説
アラジャ・ヒュユク
Alaca Hüyük
トルコのアナトリア高原中央北部にある遺跡。ボアズキョイの北東約32kmにある低いテル。1835年の調査によってスフィンクス門があることが知られ,発掘が進むにつれてヒッタイト新王国の都市遺跡であることがわかった。しかし1935-39年,トルコの考古学者コシャイH.Z.KoşayやアリクR.O.Arikが都市遺跡の下層から初期青銅器時代に属する独自の文化を発見したことによって学史的にも特に重要な位置を占めている。1層はフリュギア時代,2,3層がヒッタイト新王国時代,4層はヒッタイト古王国時代,5~8層が前期青銅器時代,9~14層が金石併用時代に属し,独自な文化の存在を認識させたのは,5~8層の前2500年ころと考えられる13基の王族の墓とその副葬品である。平均的な大きさが長さ4~6m,幅3.5m,深さ75cmの土壙墓で,金製・銀製・エレクトラム製の装身具,容器類,鉄身金装の剣を含む武器類等の豪華な副葬品が目だつが,特異なのはバイオリン形の土製・石製・青銅製・銀製女性像,青銅製のいわゆる太陽の円板および牡牛と牡鹿の像である。太陽の円板や動物像は神々のシンボルとして,竿先に固定された一種の〈スタンダード〉と考えられている。動物像のなかには,頭や角をエレクトラム合金で覆い,胴体にジグザグ文や同心円文の象嵌を施すなどして,優れた金属工芸の技術水準を示すものがある。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報