改訂新版 世界大百科事典 「象嵌」の意味・わかりやすい解説
象嵌 (ぞうがん)
工芸の装飾技法。金属,陶磁,木材などの材料の表面に,他の材料(同種のこともある)を嵌(は)め込む技術をいう。
金属象嵌の場合,素地となる銅,鉄などの金属面を彫って金,銀,赤銅(しやくどう)などを嵌め込むことが多く,糸(いと)象嵌,平(ひら)象嵌,布目(ぬのめ)象嵌,高肉(たかにく)象嵌,切嵌(きりばめ)象嵌などがある。(1)糸象嵌 針金象嵌ともいい,金属表面に鏨(たがね)で文様や文字の形を彫り,そのあとに糸状の細い金属を嵌め込み表面を平らにする。この技法は象嵌技法の中で最も基本的なものである。日本では古墳時代の馬具や刀剣の把頭(つかがしら),鍔(つば)などにみられ,多くは鉄地に金,銀の細線を嵌め込んだものである。奈良県天理市櫟本町東大寺山古墳出土の金錯銘花形飾環頭大刀は棟に中国漢代の中平(184-189)の年号や文字を金象嵌しており,石上神宮蔵の七枝刀刀身銘文や,三重県鈴鹿市国府町車塚古墳出土の連続渦文把頭などにもみられる。(2)平象嵌 素地の表面を平面的に彫り下げて,その部分に板状の幅の広い金属を嵌める技法で,線象嵌より複雑で技巧を必要とする。中国戦国時代のものに散見するが,日本の古代の遺品中にはみられない。鳥取県大山寺蔵の鉄厨子に付属する承安3年(1173)銘のある祈願文鉄板には,文字を平象嵌であらわす。平泉金色院(中尊寺)の平安時代の金銀装舎利壇には,基壇上に蓮唐草団窠文を平象嵌している。鶴岡八幡宮蔵の鎌倉時代の擬宝珠には,亀甲菱文を平象嵌と糸象嵌であらわしている。なお加賀象嵌はおもに糸象嵌,平象嵌の手法を用いたもので,桃山時代末に京都の象嵌工が前田侯に招かれ,代々世襲した。(3)布目象嵌 鏨で地金に細かい縦横の布目の筋を彫り,上から金属をたたき込んで貼り付ける技法である。近世のものにみられ,南蛮渡来の技法と伝える。肥後象嵌はこの布目象嵌技法である。(4)高肉象嵌 高肉彫されたものを一部に嵌め込んだり,高肉彫の細部に他の金属を嵌め込んだりする複雑な技法である。時代の下った刀剣小道具(鐔(つば),刀装)の中にみられる。据文(すえもん)象嵌もこの手法の一種である。(5)切嵌象嵌 薄い地金を切り透かし,その透しの間に他の金属を埋め込んだもので,素地の表裏に象嵌文様がみられる。まれにしかみられない手法である。一般的に日本の象嵌技法は上代と近世に多くみられるが,中世の遺品はいたって乏しい。象嵌技法は室町時代末期になり,中国の明代風の象嵌や南蛮渡来の布目象嵌の感化を受け,大いに発達した。初めに上代の糸象嵌,そして平象嵌,次に布目象嵌が起こり,ついに据文象嵌すなわち高肉象嵌へと進歩したのである。
陶磁器の場合は,素地の土色と異なった色の土を器胎に嵌入し,絵や文様をあらわし,釉をかけて焼いたものをいう。陶磁器の象嵌が最も発達したのは,朝鮮の高麗青磁である。12世紀半ばに興ったとされる象嵌青磁は,器物に刻文を施した後,白や黒の土を嵌入し,青磁釉をかけて焼成され,高麗以前に技法の伝承,伝播がみられず,螺鈿(らでん)漆器の技法が応用されたのではないかと考えられている。また高麗末期から李朝にかけて作られた三島にも,高麗青磁から変化したと考えられる象嵌手法がみられる。日本では八代焼(熊本県)に象嵌装飾のものが多く,現在でも作られている。
→高麗美術
木製品における象嵌には,主として黒檀などの堅木類や象牙などが嵌め込む材料として使われる。日本では奈良時代の正倉院に木画(もくが)紫檀挟軾,木画水晶飾箱,木画紫檀硯台,金銀ガラス象嵌紫檀柄香炉,木画紫檀棊局,木画紫檀双六局など精巧な品がみられる。
執筆者:香取 忠彦
西洋,オリエント
象嵌の技法は先史メソポタミアやエジプトに続くギリシア,ローマ以来,今日まで西洋でも多方面に用いられている。最古の遺品の一つには前2750年ごろと推定される〈ウルのスタンダード〉(大英博物館)がある。これは地を青色のラピスラズリで埋め,その中に白い貝殻で人物や動物像を,また縁取りに赤色石灰岩を嵌め込んだものである。エジプトではすでに古王朝時代,ヒエラコンポリス出土の聖鳥の金板による頭部に,黒曜石の玉眼を嵌め込んだものが残されており,さらに第18王朝末期のツタンカーメンの黄金のマスクや黄金の玉座に銀やガラス,貴石,ファイアンス(陶器の一種),象牙,黒檀などさまざまな素材でかたどった文様や図像が嵌め込まれており,今日にも劣らぬ当時の工芸技術の高水準を示している。
象嵌のなかで最も多いのは金属工芸における象嵌で,これには銅,青銅,鉄の地に金,銀,鉛,ニエロなどが嵌め込まれる。クレタやミュケナイ時代の金工品,青銅器などにも貴石や金,銀を嵌め込んだ女性の装身具や武具が多く,なかでもミュケナイ出土の金,銀,ニエロを象嵌した短剣(アテネ考古学博物館)が知られる。さらにギリシア・ローマ時代からビザンティン時代にかけてはオリエントの影響を受け,王侯,貴族の豪奢な遺品には貴石,象牙,ガラス,真珠などを嵌め込んだ宝飾品が多数残されている。中世は工芸の時代と呼ばれるにふさわしく,金や銀地に他の金属による平象嵌,糸象嵌を施し,さらにエメラルド,ヒスイ,水晶,ガラスなどを象嵌した十字架,聖書のカバー,聖遺物箱,聖杯など,精緻をきわめた作例がみられる。中世の金属細工はケルン,アーヘンを中心としたライン地方,フランスではリモージュ,パリが知られている。ルネサンス期にはイタリアではローマ,フィレンツェ,ミラノを中心に開花し,その仕事場は修道院から工房(ボッテガ)に移り,おもに金線による糸象嵌や布目象嵌と,その上に七宝をかける技法によって古典的なモティーフを表現した。これら15,16世紀のイタリアの高度な象嵌の技法を示す優品は〈メディチの財宝〉としてフィレンツェのピッティ美術館に保存されている。
木工では,地となる木材と色の異なる黒檀や紫檀,あるいは象牙,貝殻,獣骨,金,銀などを嵌め込んだ小箱,テーブル,キャビネットなどの豪奢な家具類もルネサンス以降各地で製作された。17,18世紀はべっこうとシンチュウで切嵌め象嵌したフランスのA.C.ブールによる〈ブール象嵌〉の家具や,シノアズリーの流行で東洋的な花鳥をモティーフとし,宝石,真珠,紅玉,ラピスラズリ,黒檀などを用いた華麗なキャビネットやテーブルが製作された。
陶器では,黄色地もしくは褐色地に白土を象嵌して図像をあらわした中世の舗床用の象嵌タイルがイギリス,フランス,ドイツに多くみられ,また近世以降では16世紀フランスのサントンジュ地方サン・ポルシェールで焼かれた白土地に黒褐色で細かい連続文様を象嵌した〈アンリ2世陶器〉が知られる。
執筆者:前田 正明
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