日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボアズキョイ」の意味・わかりやすい解説
ボアズキョイ
ぼあずきょい
Boazköy
トルコの首都アンカラのほぼ東150キロメートルに位置するヒッタイト帝国の都。古代名ハットゥシャあるいはハットゥサ。1906~1907年、1911~1912年の二度にわたり、ドイツ人のアッシリア学者H・ウィンクラーによって発掘調査が行われ、エジプトとの間に交わされた和平条約をはじめ、1万枚を超える粘土板文書が発見された。1931年ドイツ人のK・ビッテルによって発掘調査は再開され、現在に至っている。ハットゥシャは高地の市域と低地の市域とに分かれ、高地は自然の地形を利用した王宮、低地は神殿が、おのおのの市域の中心をなしている。今日までの調査では、天候神、太陽神を祀(まつ)っていた大神殿に付属した貯蔵庫、アッシリア植民都市時代の住居址(し)群、城壁、出撃門、神殿、王宮、王室文書庫などがみつかっている。ハットゥシャは紀元前16世紀ハットゥシリ1世によって建設されたが、前14世紀後半北方のカシュカに攻略され、ダッタシャシュ(位置不明)に遷都を余儀なくされた。前1190年ごろ、小アジアの西から移動してきた「海の民」によってハットゥシャは崩壊した。
[大村幸弘]