ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イエン・サリ」の意味・わかりやすい解説
イエン・サリ
Ieng Sary
[没]2013.3.14. カンボジア,プノンペン
カンボジアの政治家。プノンペンで学び,1950年フランスへ留学,共産党に入党。1958年帰国後カンポート私立大学教授。1963年反政府運動のため地下に潜行し,闘争の中心人物の一人となった。1971年7月カンプチア民族統一戦線特使として中国の北京に入り,ノロドム・シアヌークの特別顧問として行動。1976年4月,ポル・ポトが率いる民主カンプチアの外交担当副首相に就任。1979年ベトナム支援下のカンプチア救国民族統一戦線に首都を奪われると,タイ国境周辺で抵抗運動を続行,ヘン・サムリン政権より大量虐殺の罪でポル・ポトとともに死刑判決を受けた(1996恩赦)。共産党中央常任委員。1980年副首相に再任。1982年民主カンプチア連合政府(→カンボジア国民政府)が樹立し財政経済調整委員会委員となる。長年にわたり赤いクメールのナンバー3であったが,1996年離脱,多数の兵士とともに投降した。2007年に大量虐殺などの罪で当局に妻とともに身柄拘束され,カンボジア特別法廷で起訴されたが公判途中に死亡した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報