イエン・サリ(その他表記)Ieng Sary

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イエン・サリ」の意味・わかりやすい解説

イエン・サリ
Ieng Sary

[生]1925.10.24. フランス領インドシナ,ベトナム
[没]2013.3.14. カンボジアプノンペン
カンボジアの政治家。プノンペンで学び,1950年フランスへ留学,共産党入党。1958年帰国後カンポート私立大学教授。1963年反政府運動のため地下に潜行し,闘争の中心人物の一人となった。1971年7月カンプチア民族統一戦線特使として中国の北京に入り,ノロドム・シアヌークの特別顧問として行動。1976年4月,ポル・ポトが率いる民主カンプチアの外交担当副首相に就任。1979年ベトナム支援下のカンプチア救国民族統一戦線に首都を奪われると,タイ国境周辺で抵抗運動を続行ヘン・サムリン政権より大量虐殺の罪でポル・ポトとともに死刑判決を受けた(1996恩赦)。共産党中央常任委員。1980年副首相に再任。1982年民主カンプチア連合政府(→カンボジア国民政府)が樹立し財政経済調整委員会委員となる。長年にわたり赤いクメールのナンバー3であったが,1996年離脱,多数の兵士とともに投降した。2007年に大量虐殺などの罪で当局に妻とともに身柄拘束され,カンボジア特別法廷で起訴されたが公判途中に死亡した。

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20世紀西洋人名事典 「イエン・サリ」の解説

イエン・サリ
Ieng Sary


1930.1.1 -
カンボジアの政治家。
カンボジア副首相,連合政府財政経済調整委員会委員。
プレイベン州生まれ。
1950年パリに留学し、’55年在仏クメール学生同盟委員長。’57年帰国後、カンポット私立大教授となる。’63年地下潜行。その後、’71年カンボジア民族統一戦線特使として北京入りし、シアヌーク殿下と共に活動。’76年民主カンボジア副首相兼外相、’82年カンボジア三派連合政府財政経済調整委員会委員を歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「イエン・サリ」の解説

イエン・サリ

生年月日:1924年10月20日
カンボジアの政治家

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