プノンペン(読み)ぷのんぺん(英語表記)Pnompenh

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プノンペン」の意味・わかりやすい解説

プノンペン
ぷのんぺん
Pnompenh

カンボジア中南部にある同国の首都。メコン川とその支流のトンレ・サップ川、バサック川がK字形に合流するその中心付近に位置する。人口116万9800(2003推計)。プノンペンとはカンボジア語で「ペンの丘」を意味し、市の中心にある、ペンという名の女性が仏像を拾って祭った丘(プノン)に由来する。1371年ころクメール人によって建設され、河川交通の要衝として栄えた。1434年から約半世紀の間、アンコールにかわってクメール王国の首都となった。1866年ふたたび首都となり、以後フランス領時代を通じてカンボジアの中心都市であった。1975年から5年間、ポル・ポト政権のもとで無人化が図られ荒廃したが、1980年以降は復興が進んでいる。

 町はトンレ・サップ川右岸の台地上につくられ、かつては綿花、米の集散地としてにぎわい、北から欧人街、華僑(かきょう)街、ベトナム人街、カンボジア人街に分けられていた。独立後は市街は整備され、南北12キロメートル、東西2キロメートルの細長い町がトンレ・サップ、メコン両川に沿っている。町の区画は規則的で、フランス領時代からの伝統を受け継ぎ整然としている。鉄道駅から東に大通りがトンレ・サップ川まで延び、その通りの北には市庁、ペンの丘、公園などがあり、南には南北に走るポール・ベール街とシソワット波止場通りの間に、19世紀後半に建てられた王宮や国立博物館、国会議事堂、諸官庁などが並んでいる。また、市中至る所にワット(寺院)がある。交通上は、カンボジアにおける国道網の中心をなすとともに、北西部のシソフォンおよびタイランド湾岸のコンポン・ソムへ延びる鉄道の起点である。また水運でも1908年フランスによって開港されて以来、喫水5メートルの船まで入港できる港があり、重要な機能をもっている。南西8キロメートルにプノンペン国際空港がある。

[菊池一雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プノンペン」の意味・わかりやすい解説

プノンペン
Phnum Pénh

カンボジアの首都。別綴 Phnom Penh。同国南部,メコン川に臨む河港都市で,同川支流トンレサップ川が合流するとともに分流バサック川が分岐して川筋がX字形をなす地点に位置する。早くから河川交通の要衝として開け,15世紀には北西のアンコールに代わってクメール王国の首都となった。その後一時放棄されたが,19世紀後半カンボジアがフランスの保護領となったのち,1866年ノロドム1世が首都に定めてから政治,経済,文化の中心地として発展。港は南シナ海からメコン川を約 300kmさかのぼった地点にあるが,同川の主要港で,カンボジア西部内陸地方や内陸国ラオスへの門戸として,米,魚類,トウモロコシ,綿花,コショウなどの取り引きで繁栄。市内には繊維,ビール,蒸留酒,精米などの工業が立地した。フランス植民地時代に都市計画によって建設された市街はきわめて整然としており,1970年のクーデターでシアヌーク元首が追放されるまでは,王宮を中心に落ち着いた雰囲気を保っていた。その後内戦の激化に伴って避難民が流入し人口が急増,一時は 300万人を数えたが,1975年4月以降はポル・ポト政権により極端な農村移住政策がとられた結果,一転して市の人口が激減し,首都としての機能を喪失してしまった。しかし,1970年代末民主カンプチ政府の登場により町は徐々に以前の姿に戻り,1980年代初めには人口 30万近くまで回復した。水運のほか,陸上交通の中心地でもあり,西のバッタンバン,南のコンポンソムの両方面へ通じる鉄道の起点で,道路が市から放射状に延びている。国際空港もある。人口 124万2992(2008)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android