ヘン・サムリン(読み)へんさむりん(その他表記)Heng Samrin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘン・サムリン」の意味・わかりやすい解説

ヘン・サムリン
へんさむりん
Heng Samrin
(1934― )

カンボジアの政治家。コンポン・チャム州生まれ。1959年以後革命運動に投じ軍事面で活躍。1976年クメール・ルージュポル・ポト派)の第四師団長兼政治委員に就任。1978年5月反ポル・ポト蜂起(ほうき)に失敗、ベトナム亡命。同年12月カンボジア救国民族統一戦線結成議長に就任。12月末カンボジアに侵攻したベトナムの影響下に、1979年1月カンボジア人民共和国人民革命評議会議長に就任。1981年8月国家評議会議長、同年12月カンボジア人民革命党書記長。1991年カンボジア人民革命党がカンボジア人民党に改称するとともに名誉議長に棚上げされ、同党の実権は副議長フンセンに集中した。1993年国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC(アンタック))監視下の総選挙でも当選し、新生カンボジア王国では、1998年11月下院副議長、2006年3月下院議長に就任。

[黒柳米司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ヘン・サムリン」の意味・わかりやすい解説

ヘン・サムリン

カンボジアの政治家。1959年以来,共産主義革命運動に身を投じたが,ポル・ポト派の台頭で反主流派となり,ベトナムに亡命。1978年にカンボジア救国民族統一戦線を率いてベトナム軍とともにカンボジアに侵攻。ポル・ポト政権を打倒し,1979年1月にカンボジア人民革命党(のちのカンボジア人民党)を率いて親ベトナムのヘン・サムリン政権(カンボジア人民共和国)を誕生させた。その後,ポル・ポト派,シアヌーク派,ソン・サン派との内戦を経て,1991年10月パリ和平合意を成立させた。同年カンボジア人民党名誉議長,1998年下院第一副議長。
→関連項目カンボジアフン・センベトナム

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

現代外国人名録2016 「ヘン・サムリン」の解説

ヘン・サムリン
Heng Samrin

職業・肩書
政治家 カンボジア下院議長,カンボジア人民党名誉党首 元カンボジア国家評議会議長

国籍
カンボジア

生年月日
1934年5月25日

出生地
ベトナム・コンポンチャム州ポンヘアクレク

経歴
共産軍の大隊長、連隊長歴任。1976〜78年クメール・ルージュ(ポル・ポト派)の東部軍管区第4地方師団長兼軍政治委員、共産党東部方面区常任委員。’78年ポル・ポト派の大虐殺に抗してベトナムの支援を受け武装決起。同年12月カンボジア救国民族統一戦線を組織し、議長に就任。’79年1月プノンペンにカンボジア人民共和国を樹立し人民革命評議会議長となる。’81年6月新憲法により国家評議会議長(元首)。同年12月人民革命党書記長に就任。’91年10月第5回党大会で人民革命党から人民党に党名変更するとともに、書記長から名誉議長(名誉党首)に退いた。’93年より国会議員4期連続当選。’98年11月国民議会(下院)第1副議長、2006年3月同議長。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘン・サムリン」の意味・わかりやすい解説

ヘン・サムリン
Heng Samurin

[生]1934. プレイベン,フーニアクレク
カンボジアの政治家。 1959年革命運動に参加。 76~78年ポル・ポト政権の第4師団師団長ならびに政治委員。 78年政府転覆クーデターに失敗してベトナムに逃れ,同年 12月カンプチア救国民族統一戦線を結成。ソ連の支援を背後にベトナム軍とともにカンボジアに侵入,またたくまに国土の大半を席捲し,79年1月7日プノンペンを攻略,同8日カンプチア人民革命評議会議長に就任。同 11日カンプチア人民共和国の樹立を宣言,国家元首。以後民主カンプチア連合政府 (3派連合) 側と対立してきたが,91年 10月のパリ和平協定締結でカンボジア問題は公式には収束し,民主カンプチア連合とともに最高国民評議会 SNCを結成。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「ヘン・サムリン」の解説

ヘン・サムリン
Hen Samrin


1934 -
カンボジアの政治家。
カンボジア人民党名誉議長。
コンポンチャム州生まれ。
カンボジアの政治家で、1955年から革命運動に参加。’76年ポル・ポト政権の下で第四師団長と政治委員を兼務する。’78年反ポル・ポト蜂起に失敗してベトナムに亡命し、カンボジア救国民族統一戦線を結成し、同議長として活動。’79年カンボジア人民共和国人民革命評議会議長を経て、’81年国家評議会議長(元首)となる。同年人民革命党書記長。91年人民党に党名変更、名誉議長に退く。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヘン・サムリンの言及

【カンボジア】より

…77年12月にはベトナムと断交し,国境紛争が激化した。 粛清されずに残った親ベトナム派勢力は78年12月にカンボジア救国民族統一戦線を結成し,ベトナム軍に支援されて,79年1月,プノンペンを占領,カンボジア人民共和国(ヘンサムリンHeng Samrin政権)が成立した。ポルポト派勢力はタイ国境地帯で反ベトナムのゲリラ戦を続けながら,82年7月にはシアヌークなどの第三勢力を含めた反ベトナム3派による連合政府を発足させた。…

※「ヘン・サムリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android