日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス・フランス協商」の意味・わかりやすい解説
イギリス・フランス協商
いぎりすふらんすきょうしょう
Anglo-French Entente
1904年4月8日、イギリス・フランス両国間で調印された協商。両国は19世紀末に植民地問題で激しく対立していたが、従来から双方の財界では両国の接近が要請されており、1898年フランス外相に就任したデルカッセの親英政策などもあって、その関係は好転に向かい、1904年2月の日露戦争勃発(ぼっぱつ)を機に、両国の勢力範囲調整のための協商成立となった。内容は、(1)イギリスのエジプトでの、フランスのモロッコでの優越権の相互承認、(2)フランスのニューファンドランドでの漁業権放棄と西アフリカでの領地獲得、(3)シャム(現在のタイ)、マダガスカル、ニュー・ヘブリデスでの勢力範囲画定、(4)スエズ運河、ジブラルタル海峡の自由通航承認、などである。これにより、長年にわたる両国の対立は解決し、既存のロシア・フランス同盟、後のイギリス・ロシア協商(1907)とともに、ドイツ包囲体制としての三国協商が形成され、第一次世界大戦に至る列強間の勢力関係が形成された。
[石井摩耶子]