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三国協商 さんごくきょうしょうTriple Entente

翻訳|Triple Entente

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三国協商
さんごくきょうしょう
Triple Entente

20世紀初めのドイツの外交,軍事の発展に対抗して,イギリス,ロシア,フランス3国間に結ばれた同盟協商関係の総称。 1891年の露仏同盟,1904年の英仏協商を経て 07年の英露協商の成立によりおのずから形成されたドイツ包囲の外交体制をさす。三帝同盟三国同盟によってオーストリア,ロシア,イタリアと結び,フランスの孤立化をはかったドイツの同盟外交はビスマルクの失脚によってロシアの脱落を招いた。ロシア,フランスはただちに接近,金融的・軍事的結合を深めるが,イギリスはなお 1890年代には「光栄ある孤立」を保った。しかしこの時期のドイツ帝国主義の発展はめざましく,建艦競争によってイギリス海軍力への挑戦も開始した。イギリスはこのドイツを最強の競争者とみなし,孤立化をはかるために外交体制の調整に向った。 1902年日英同盟によって極東の勢力範囲に対するロシアの圧迫を排除する一方,英仏協商を結んでアフリカなど植民地発展をめぐる両国の利害対立を処理,日露戦争後インド確保のためロシアとの協調をはかり英露協商を締結,ロシアへの資本輸出の道を広げた。これ以後,バルカン,中東方面やアフリカにおいて三国同盟との緊張,対立を深め,協商側は軍事結束の強化,同盟側からイタリアの分離などをはかり,第1次世界大戦にそなえた。大戦中各種の秘密条約で領土再分割を策したが,17年 11月ロシア革命により革命政府が脱退,協商は解体した。

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デジタル大辞泉の解説

さんごく‐きょうしょう〔‐ケフシヤウ〕【三国協商】

1891年の露仏同盟、1904年の英仏協商、1907年の英露協商によって生まれたイギリス・フランス・ロシア3国の同盟関係のこと。ドイツ包囲を目的とし、三国同盟に対抗したもの。革命による帝政ロシアの崩壊により消滅。

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百科事典マイペディアの解説

三国協商【さんごくきょうしょう】

露仏同盟(1891年),英仏協商(1904年),英露協商(1907年)を軸にして生まれた英・仏・露3国の協力関係をさす。事実上独・伊・オーストリアの三国同盟に対する連合戦線で,帝国主義の国際的対立激化をもたらし,第1次世界大戦に至った。
→関連項目エドワード[7世]

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世界大百科事典 第2版の解説

さんごくきょうしょう【三国協商 Triple Entente】

1891‐94年にかけて成立した露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により生じたイギリス,ロシア,フランス3国間の友好関係の総称。三国協商についての特定の規約はない。フランスはドイツ帝国宰相ビスマルクの外交政策(三帝同盟)によって国際的に孤立したが,1890年の彼の辞任後ロシアはフランスに接近し,91年8月に露仏政治協定,92年8月には軍事協定が成立,94年1月4日に露仏同盟は正式に発効した。

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大辞林 第三版の解説

さんごくきょうしょう【三国協商】

第一次大戦前から大戦中の、英・仏・露三国の協力体制。1891年(明治24)の露仏同盟、1904年の英仏協商、07年の英露協商によって相互に提携し、ドイツに対抗した。17年のロシア革命で解消。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三国協商
さんごくきょうしょう
Triple Ententeフランス語

第一次世界大戦前のイギリス、フランス、ロシア3国の協力体制。それは、相互に同盟や協商によって結ばれた3国間の友好関係の総称であって、特定の条約が存在したわけではない。三国同盟と対立するフランスは、ドイツから離反したロシアに近づき、1891~94年にロシア・フランス同盟を成立させた。イギリスは長らく「光栄ある孤立」を守ってきたが、1902年に日本と日英同盟を結んだのち、04年日露戦争勃発(ぼっぱつ)を機にフランスとイギリス・フランス協商を結んだ。ついで日露戦争に敗れたロシアもイギリスに接近、07年イギリス・ロシア協商を締結して、三国協商体制が成立した。これら3国を結び付けたのは、まずドイツの急速な台頭で、三国協商は、ドイツを中心とする三国同盟に対抗して大戦前の世界政治を二分した。また三国協商は、帝国主義列強がその植民地支配を維持するため互いに協力する世界体制でもあった。すなわち、イギリス・フランス協商成立にあたり両国は、世界の諸地域での両国間の対立を解消し、とくにエジプトとモロッコとを互いに勢力圏として認め合った。また、イギリス・ロシア協商でも、ペルシア、アフガニスタン、チベットで両国はそれぞれの勢力圏を確認した。協商は初め軍事同盟の性格をもたなかったが、モロッコ事件などを通じてドイツとの対立が強まるにつれ、種々の軍事協定により補強され、ついに第一次世界大戦に突入した。大戦前、協商体制に日本、スペインも参加していたが、大戦中には参加国が激増した。しかし、アメリカの参戦で戦争の主導権が協商国の手を離れ、さらにロシア革命でロシアが脱退したため、協商体制は崩壊した。[木谷 勤]

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世界大百科事典内の三国協商の言及

【第1次世界大戦】より

…ついで05年の日露戦争終結とともにこれまでの英露対立も解消すると,イギリスは07年8月31日に英露協商を締結することができた。これは第1次大戦前史における三国協商体制の成立を意味する画期的な出来事であるが,さらに巨視的に展望すると,ドイツの急激な膨張により,かえってクリミア戦争以来の長年にわたる英露両超大国の対立が解消したことを示す,国際関係史上の一大変動であった。
[戦争の原因]
 ところで,第1次大戦の原因としては,建艦競争や三B政策で対立の先鋭化したイギリスとドイツの関係,アルザス・ロレーヌ2州やモロッコの問題をめぐるドイツとフランスの対立関係,オスマン・トルコ帝国の衰退に伴って発生したバルカンにおけるパン・ゲルマン主義とパン・スラブ主義の角逐,またそれと結びついた複雑な民族相克の問題,さらに同盟国(独墺伊)と協商国(英仏露)との対抗関係などがあげられるが,第1次大戦は極東問題やアフリカ分割の問題からでなく,結局は〈ヨーロッパの火薬庫〉といわれたバルカンから発火した。…

※「三国協商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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