日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス・ペルシア協定」の意味・わかりやすい解説 イギリス・ペルシア協定いぎりすぺるしあきょうていAnglo-Persian Agreement 1919年8月9日、イギリス・ペルシア(現イラン)両国間で締結された協定。ペルシアの独立と領土保全の尊重、および同国の行政、軍事両面の改善のため、イギリスによる専門顧問の派遣と200万ポンドの借款供与を約したもの。イギリス側の意図は、第一次世界大戦で多大の損害を受けたペルシアの苦境に乗じて、ペルシアを実質的な保護領とすることにあったため、ペルシア議会はこの協定の批准を拒否した。[石井摩耶子] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「イギリス・ペルシア協定」の解説 イギリス−ペルシア協定イギリス−ペルシアきょうていAnglo-Persian Agreement 1919年,イギリスがペルシア(イラン)を保護国とした協定第一次世界大戦のとき,ペルシアは中立を宣したが,イギリス・ロシア対ドイツ・トルコの戦場となって大きな被害を蒙 (こうむ) った。ロシア革命によってロシア軍が撤退すると,イギリスが全土を占領してカージャール朝とこの協定を結んだが,1921年,レザー=ハーンの革命によって破棄された。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by