イクシュバーク朝(読み)イクシュバークちょう(その他表記)Ikṣvāku

改訂新版 世界大百科事典 「イクシュバーク朝」の意味・わかりやすい解説

イクシュバーク朝 (イクシュバークちょう)
Ikṣvāku

古代南インドの王朝。3世紀前半,サータバーハナ朝の滅亡のとき,バーシシュティープトラ・チャーンタムーラがクリシュナ川下流南岸で興し,4代約100年間,この川の流域地帯を支配した。王朝はこの地方の出身と思われるが,マヌの息子でガンガーガンジス)川中流域アヨーディヤーのイクシュバークという伝説上の王の名をとって,支配の正当性を主張し,ベーダ儀式をおこない,カールッティケーヤ(スカンダ)などヒンドゥー神を信奉して,バラモンの宗教と文化の移植に努めた。都ビジャヤプリーVijayapurīは泥土,のちには煉瓦で築かれた城壁で囲まれ,そこには諸種の建物,貯水池,水浴場などの跡が発掘されている。その近くの有名なナーガールジュナコンダ仏教寺院は王妃などによって建立され,壮大なストゥーパや僧院が発掘され,その彫刻はアマラーバティーの作品に続くアーンドラ地方の仏教美術の傑作として知られている。この王朝はゴア近くの王やシャカ族の王と婚姻関係を結び,南インドの有力な王朝となったが,4世紀中ごろまでに南のパッラバ朝に滅ぼされた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イクシュバーク朝」の意味・わかりやすい解説

イクシュバーク朝
イクシュバークちょう
Ikṣuvāku

古代南インドの王朝。3世紀初めサータバーハナ朝衰退に乗じて,今日のアンドラプラデーシュ州のクリシュナー川下流域に興り,ナーガールジュナコンダ近郊に都して,この地方の開拓を進めた。ガンジス流域の高度の文化を移植したが,4世紀初めパッラバ朝によって倒された。ナーガールジュナコンダ遺跡は,この王朝の繁栄した様子を示している。

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世界大百科事典(旧版)内のイクシュバーク朝の言及

【ナーガールジュナコンダ】より

…ダム建設により水没することになり,1954‐60年に大規模な発掘が行われ,重要な遺構はナーガールジュナサーガルNāgārjunasāgar湖に浮かぶことになった島に移された。当地には旧石器文化,細石器文化,新石器文化,巨石文化の遺跡もあるが,より重要なのは3世紀中期から約1世紀間栄えたイクシュバーク朝の首都ビジャヤプリーVijayapurīの都城と,この王朝の庇護によって造営された多数の仏教寺院とである。出土品の多くは,島にある考古博物館に収められていて,仏教説話図,ミトゥナ像,ヤクシャ像などの石灰石を用いた彫刻が中心である。…

※「イクシュバーク朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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