インド南東部アーンドラ・プラデーシュ州のクリシュナー川右岸にあった遺跡。ダム建設により水没することになり,1954-60年に大規模な発掘が行われ,重要な遺構はナーガールジュナサーガルNāgārjunasāgar湖に浮かぶことになった島に移された。当地には旧石器文化,細石器文化,新石器文化,巨石文化の遺跡もあるが,より重要なのは3世紀中期から約1世紀間栄えたイクシュバーク朝の首都ビジャヤプリーVijayapurīの都城と,この王朝の庇護によって造営された多数の仏教寺院とである。出土品の多くは,島にある考古博物館に収められていて,仏教説話図,ミトゥナ像,ヤクシャ像などの石灰石を用いた彫刻が中心である。作風はアマラーバティーのそれを継承しているが,表現はやや粗野になっている。また一部に釈迦の姿を表現せず聖樹その他で代用する古い方式がなお用いられている。この地を偉大な仏教学者竜樹(ナーガールジュナ)と結びつける伝説は中世以前にはさかのぼりえない。
執筆者:肥塚 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
南インド、アンドラ・プラデシュ州主都ハイデラバードの南東約170キロメートル、クリシュナ川中流右岸に存在した遺跡。発見された碑文により、3世紀に栄えたイクシュバーク朝の都ビジャヤプリーの跡と考えられる。遺跡には王宮、チャイティヤなどの仏教建築、ヒンドゥー寺院など多くの遺構が存在したが、1950年代から始まったダムの建設により水没することになり、重要な九つの遺構が丘の上(現在はダムによってできた人造湖中の島)に移された。年代的にクリシュナ川下流のアマラバティの遺跡に続き、仏教美術のうえからは、仏陀(ぶっだ)を表すのに法輪や仏足のような「シンボル」から「仏像」への移行期にあたり、またヒンドゥー建築もみられるなど、美術史上重要な遺跡である。語義は「ナーガールジュナの丘」で、遺跡のわきの丘上で、仏教中観派の祖龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ)が瞑想(めいそう)をしたことに由来するといわれるが、さだかではない。
[辛島 昇]
…都ビジャヤプリーVijayapurīは泥土,のちには煉瓦で築かれた城壁で囲まれ,そこには諸種の建物,貯水池,水浴場などの跡が発掘されている。その近くの有名なナーガールジュナコンダ仏教寺院は王妃などによって建立され,壮大なストゥーパや僧院が発掘され,その彫刻はアマラーバティーの作品に続くアーンドラ地方の仏教美術の傑作として知られている。この王朝はゴア近くの王やシャカ族の王と婚姻関係を結び,南インドの有力な王朝となったが,4世紀中ごろまでに南のパッラバ朝に滅ぼされた。…
※「ナーガールジュナコンダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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