日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナーガールジュナコンダ」の意味・わかりやすい解説
ナーガールジュナコンダ
なーがーるじゅなこんだ
Nāgārjunakonda
南インド、アンドラ・プラデシュ州主都ハイデラバードの南東約170キロメートル、クリシュナ川中流右岸に存在した遺跡。発見された碑文により、3世紀に栄えたイクシュバーク朝の都ビジャヤプリーの跡と考えられる。遺跡には王宮、チャイティヤなどの仏教建築、ヒンドゥー寺院など多くの遺構が存在したが、1950年代から始まったダムの建設により水没することになり、重要な九つの遺構が丘の上(現在はダムによってできた人造湖中の島)に移された。年代的にクリシュナ川下流のアマラバティの遺跡に続き、仏教美術のうえからは、仏陀(ぶっだ)を表すのに法輪や仏足のような「シンボル」から「仏像」への移行期にあたり、またヒンドゥー建築もみられるなど、美術史上重要な遺跡である。語義は「ナーガールジュナの丘」で、遺跡のわきの丘上で、仏教中観派の祖龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ)が瞑想(めいそう)をしたことに由来するといわれるが、さだかではない。
[辛島 昇]