バラモン(読み)ばらもん(英語表記)Brāhmaa

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バラモン」の意味・わかりやすい解説

バラモン
ばらもん
Brāhmaa

古代インドで成立した四つの社会階層(バルナ)の一つで、司祭階層。サンスクリット語ではブラーフマナというが、漢訳仏典における音写、婆羅門の日本語発音が一般化した。

 バラモンは紀元前800年ころまでには階層として形成されていたと考えられ、彼らが執り行う供犠(きょうぎ)(ヤジュニャ)などの祭式を中心とする宗教はバラモン教とよばれる。バラモンには、『リグ・ベーダ』『サーマ・ベーダ』『ヤジュル・ベーダ』『アタルバ・ベーダ』をそれぞれに伝える四つの学派があり、とくに前三者は分担して、祭式を執行した。紀元前6世紀になると、祭式万能のバラモン教に対する批判が強まり、仏教やジャイナ教のような新しい宗教が誕生して、優勢となっていった。とくにマウリヤ朝アショカ王による仏教保護は有名である。これに対して、バラモンは旧来のバラモン教にシバŚiva神やビシュヌVi神などの神々を信奉する民俗信仰を大幅に取り入れ、その基盤を拡大しようとした。こうして、バラモン教を基礎にしながら、各地にさまざまな偏差をもつ信仰が徐々に形成されていった(19世紀、植民地支配時代に、イギリス人はこれらをひとくくりにしてヒンドゥー教Hinduismと名づけた)。紀元後7、8世紀、中世社会が形成され始めると、多くのバラモンは村落共同体一員として、村落の共同体祭祀(さいし)や村人の家庭祭祀を行うようになり、同時に、各地にバラモンの諸カーストが形成されていった。こうして、バラモンは中世を通して地域社会の精神的指導者として大きな影響力を保持し続けたのである。しかし、19世紀末から20世紀になると、マハラシュトラ地方やタミル地方では強い反バラモン運動が起こり、バラモンの力は衰えていった。

[小谷汪之]

『山崎利男著『神秘と現実 ヒンドゥー教』(1969・淡交社)』『山崎元一著『古代インド社会の研究』(1987・刀水書房)』『山崎元一著『古代インドの王権と宗教――王とバラモン』(1994・刀水書房)』『渡瀬信之訳『マヌ法典』(中公文庫)』『渡瀬信之著『マヌ法典――ヒンドゥー世界の原型』(中公新書)』『辻直四郎著『インド文明の曙――ヴェーダとウパニシャッド』(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バラモン」の意味・わかりやすい解説

バラモン

婆羅門とも書く。サンスクリット語ブラーフマナ brāhmaṇaの音写で,ブラーマンともいう。インドの4つのカーストのなかで最上位の階級。司祭者階級で,『リグ・ベーダ』以下の4ベーダその他の聖典を伝承し,祭祀を司り,その祭祀によって神々を動かす力をもつとされ,他の階級を指導した。社会の発展に伴い,政治ではクシャトリヤが,経済ではバイシャが勢力をもつようになったが,バラモンは宗教上の権威をもち続け,後世カーストが多数に分裂したのちも,最高のカーストとされている。

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