アマラーバティー(英語表記)Amarāvatī

改訂新版 世界大百科事典 「アマラーバティー」の意味・わかりやすい解説

アマラーバティー
Amarāvatī

インド,アーンドラ・プラデーシュ州のクリシュナー川南岸にある小さい町で,その南部にある仏教遺跡から出土した多数の浮彫で知られる。その中心の大塔は1796年の発見以来数度の発掘によってすっかり破壊されたが,基部の直径が51mもの巨大なもので,円形基壇の四方に張出しを作り,その上に5本の柱を立てる南インド独特の形式になり,欄楯vedikāを巡らせ四方に入口を開いていたが門はなかった。その欄楯の表裏はもとより,覆鉢や基壇をおおう石板にも浮彫をほどこしていた。浮彫の主題は,仏教説話や蓮華などの装飾文様が主体で,仏伝図では仏陀の姿を表さない古式のものも仏陀を表現するものも見られる。おそらく1世紀に浮彫で塔を荘厳しはじめ,2世紀後期にサータバーハナ朝の庇護を得て塔を拡張し最盛期を迎え,3世紀中期まで続いたと思われる。盛期の浮彫は,サーンチー第1塔のそれを発展させ,人体の柔らかな肉付け,きわめて細くしなやかな手足,それらの律動感あふれる群像表現などを特色とする。
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百科事典マイペディア 「アマラーバティー」の意味・わかりやすい解説

アマラーバティー

インド,アーンドラ・プラデーシュ州にある仏教遺跡。クリシュナー川下流の南岸にあり,2世紀後半にアーンドラ朝寄進によって大塔が造営された。欄楯(らんじゅん)や塔の表壁の浮彫はアーンドラ美術の傑作とされる。19世紀に破壊されたが,彫刻が多数発掘され,マドラスチェンナイ),カルカッタコルカタ)および大英博物館に分蔵されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アマラーバティー」の意味・わかりやすい解説

アマラーバティー
Amarāvatī

(1) インド神話において,インドラ神が住むといわれる天界の都。 (2) インド,アンドラプラデーシュ州のクリシュナ川岸にある古都。南インドにおける仏教遺跡の中心地。近くには,ナーガールジュナ (龍樹) の故地とされているナーガールジュナコンダなど有名な仏教遺跡が数多く残存している。

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世界大百科事典(旧版)内のアマラーバティーの言及

【サータバーハナ朝】より

…サータバーハナ朝はナーシク第3窟(2世紀前期),カンヘーリー第3窟(2世紀末期),クシャハラータ家はナーシク第10窟やカールレーの祠堂窟(ともに2世紀初期)に刻銘をのこしている。サータバーハナ朝は2世紀前期にはアーンドラ地方に進出し,アマラーバティーその他にストゥーパを造営した。アマラーバティーのストゥーパの浮彫とサーンチー第1塔塔門のそれとは,服制や柔らかな肉付けが共通するものの,前者の人体表現は動きと変化に富み,空間把握も巧みである。…

【ストゥーパ】より

…インドのストゥーパはこの覆鉢塔形式を基本とし,その典型であるサーンチー第1塔(図)は1世紀初期の完成時の姿をほぼ完全に残している。ただし地域や時代により少しずつ差異があり,アマラーバティーの大塔に代表される南インドでは,基壇の四方に張出しを作り5本の柱を立て,欄楯の四方に入口を造るが門はない。ガンダーラでは方形基壇が優勢となり,基壇を幾段か積み重ねたり覆鉢基部を円筒形に高くする傾向がみられ,欄楯も門もない。…

【マドラス】より

…【応地 利明】
[マドラス博物館]
 マドラス博物館は1851年に創立されたタミル・ナードゥ州立の総合博物館で,地理,考古,人類,植物,動物などの部門からなる。考古学部門で最も注目されるのはアマラーバティー出土の仏教彫刻であり,その他パッラバ朝のヒンドゥー教やジャイナ教の彫刻,チョーラ朝の青銅彫刻,南インド各地の銅板刻文も重要である。同じ敷地内の国立美術館は細密画と青銅彫刻の収集で知られている。…

※「アマラーバティー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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