閣内内閣または少数内閣と訳される。内閣は普通、総理大臣の主宰する閣議の決定によってその職権を行う。しかし、戦時や非常事態の発生、あるいは連立内閣の場合に迅速かつ統一的な処置の必要に応ずるため、閣僚のなかから少数の有力なものを選び、閣内にさらに少数の内閣を組織して重要な政策を審議決定することがある。これをインナー・キャビネットという。法律上の正式の名称ではなく、事実上の存在である。その起源は、1853年イギリスのアバディーン内閣がクリミア戦争の予防措置を協議するため5人の閣僚を招集したことに始まる。第一次世界大戦中1916年から1919年までの間、イギリスの首相ロイド・ジョージが、首相、財務相、枢密院議長、無任所相(2人)からなる5人(のち7人)の戦時内閣を設けたのがとくに有名である。ほかに、1931年のマクドナルド内閣(10人)、1939年のチェンバレン内閣(8人)、1940年のチャーチル内閣(5人)が、非常時・戦時内閣を設けた例がある。なお、少数内閣にヒントを得たもので、特定事項の政策を審議するための閣僚委員会cabinet committeesが置かれることがある。昭和初期、日本にあった五相会議、内政会議などは、国防費編成、農村不況など特定の問題を協議するもので、これは閣僚委員会であった。近年、重要課題について職務権限上密接な関係をもつ大臣による協議が行われることがある(たとえば、経済対策閣僚会議など)。これがインナー・キャビネットに相当する機能を果たしている。
[小松 進]
少数有力閣僚で構成され,全閣僚の閣議に代わり国政全般の方針決定や重要諸政策の調整にあたる内閣内の内閣。連立内閣や閣僚数膨張等の事態に戦争や社会危機の圧力が加わると,少数有力閣僚に決定権が集中する傾向が強まり,これが公式化されて成立する。イギリスでは第1次大戦のロイド・ジョージ,第2次大戦のチャーチル両戦時少数内閣が有名で,首相以下軍事関係諸相,無任所相等5~8名で構成された。日本では満州事変後の斎藤実内閣に始まる五相・四相会議がこれと比較されることもある。内閣連帯責任制や国務大臣単独平等輔弼(ほひつ)原則との兼合いで法制化されにくいが,特定問題に関する閣内委員会(閣僚会議)の形で平時にも生かされうる。なお現代イギリスの内閣制自体,20名程度の内閣会議cabinet councilの内部に,七年戦争に際して戦時圧力の下で18世紀中葉に形成された少数の実務内閣efficient cabinetを直接継承して成立した。
→内閣
執筆者:水谷 三公
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…1714年に始まる大陸出身のハノーバー朝の時代には,国王が定期的に国内を留守にしたり,皇太子を通じて野党政治家に閣議機密の漏れるのを防ぐため臨席を避けたりしたため,国王の臨席なき内閣運営の慣行が定着する。特に七年戦争時の広範な国策統合の必要に応じて,人員膨張により非能率となった内閣会議の中に,少数有力閣僚のみからなるインナー・キャビネットの一種,実務内閣Efficient Cabinetが形成された。これによって宮廷高官の内閣からの排除が完成し,議院内閣制へ発展する準備がほぼ完了した。…
…閣議構成員としての閣僚は首相の下で国政全般について平等な発言権を持つが,閣僚個人の政治力量や所管省庁の重要性が閣僚間に事実上の序列を生む。これが俗に閣内序列と呼ばれ,少数の有力閣僚がインナー・キャビネットとみなされることもある。 〈内閣〉という語は中国に起源をもつが,ヨーロッパ型のキャビネットの訳語として日本に定着するのは明治10年代以降である。…
※「インナーキャビネット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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