日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィネトカ・プラン」の意味・わかりやすい解説
ウィネトカ・プラン
うぃねとかぷらん
Winnetka Plan
1919年アメリカ、イリノイ州のウィネトカの小・中学校に、当市の教育長ウォッシュバーンによって導入された教授組織案。1910年代のアメリカでは、教科内容の個別化によって、一斉教授のもつ画一化の弊害を除去しようとする試みがなされていた。ウォッシュバーンは、個別方式の教授形態の先導者として著名なバークF. L. Burk(1862―1924)との共同研究に刺激されてウィネトカ・プランを創案した。このプランは、学習領域を共通基本教科と社会的・創造的活動とに分ける。共通基本教科はアチーブメント単元に細分化され、学習進度や単元の進め方が診断テスト、学習者の自己診断などによって、学習者のペースに合致して進行する。また、社会的・創造的活動の領域においては、グループ活動が重要視される。ウィネトカ・プランはドルトン・プランやプロジェクト・メソッドなどとともに、日本の大正期の新教育運動に影響を及ぼしている。
[大谷光長・宮寺晃夫]