改訂新版 世界大百科事典 「ウルク運河」の意味・わかりやすい解説
ウルク運河 (ウルクうんが)
Canal de l'Ourcq
パリの北東96kmの地点でウルク川の水を取り入れ,人口が急増するパリに給水すべく,19世紀初頭に建設された運河。1830年にパリの使用水量の60%が,この運河の水でまかなわれた。17世紀にコルベールは,技師ポール・リケのウルク運河計画を認可したが,この計画には,運河航行,パリの街路と下水道の洗浄施設,給水泉の新設などがすでに予定されていた。その後も1787年に計画が立てられ,90年の憲法制定国民会議は工事の実施を決定したが,1802年になってナポレオンが工事に着手させた。工費はブドウ酒に対するパリの入市税に付加税をかけて調達することとし,工事期間は3年とされた。しかしすべての工事が完成したのは25年の末であった。技術上の見解の対立,財政上の困難が工事を遅らせ,戦時捕虜が労働力として投入されたりした。ナポレオンの没落で財政難が表面化し,ついに個人企業が工事を請け負った。
ウルク運河の工事と並行してサン・マルタン運河(全長3200m),サン・ドニ運河(全長6730m)も建設された。前者はパリに隣接したウルク運河の終点のビレット貯水池から市内をバスティーユ広場を通ってセーヌ川に達する。後者は北に向けてサン・ドニ市近郊でセーヌ川の下流に至るものだった。この両運河によってパリに至るセーヌの舟運は,約16km短縮された。ウルク運河からの水の供給で,パリは道路の舗装と洗浄,下水道の整備等を促進することができた。しかし庶民の生活用水には飛躍的な改善がなく,1日1人当り平均使用水量は6lにとどまったという。それにウルク運河の水質の評判はかんばしいものではなかった。現在もウルク運河の水はパリで使用されているが,飲料水としては利用されていない。三つの運河は貨物輸送に現在も使用されており,セーヌ川の舟運と合わせて,舟運の5分の1を集中させている。
執筆者:喜安 朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報