日本大百科全書(ニッポニカ) 「エア・カナダ」の意味・わかりやすい解説
エア・カナダ
えあかなだ
Air Canada
カナダの航空会社。2000年に経営危機に陥ったカナディアン航空を吸収合併して、同国唯一の国際線エアラインとなった。カナダ国内59都市とアメリカ58都市、ヨーロッパ、中東、アジアなど60都市の間を運航している(2010年5月時点)。本社所在地はモントリオール。2003年4月経営破綻(はたん)のため会社更生手続きを申請したが、翌2004年に再建した。
エア・カナダは、1937年4月カナダ政府により国営企業トランス・カナダ・エアラインTrans Canada Airlines(TCA)として設立された。同年9月に国内線の運航を開始し、第二次世界大戦中にはカナダ―イギリス間の輸送業務にもあたった。大戦後は国内外で路線を広げ、1964年現社名に変更。1980年代の国際的な航空規制緩和の流れのなかで、1989年には同社も国有から民営に移管された。
一方のカナディアン航空は、1980年代にカナダ太平洋航空(CPエア)、パシフィック・ウェスタン航空、ノーデア、エースタン・プロビンシャル航空、ウォーデア・カナダの5社が合併して誕生した。エア・カナダとの厳しい競争に直面したカナディアン航空は、1995年には同じワン・ワールド連合のアメリカン航空に33%の資本参加と提携を進め、またブリティッシュ・エアウェーズ(BA)ともロンドン線でコードシェアリング(共同運航)の提携を行った。しかしカナディアン航空の経営は改善せず、1999年エア・カナダがカナディアン航空に吸収合併をもちかけ、カナダ産業運輸省も2000年に両社の合併を認めた。カナディアン航空の1999年の営業収益は32億6300万カナダドル、14億1900万カナダドルの赤字を計上した。エア・カナダの同年の営業収益は65億0900万ドル、営業損益は5億0300万ドルの黒字となっている。
合併により新生エア・カナダは世界で12番目の規模の航空会社となり(合併直後)、ユナイテッド航空、ルフトハンザ・ドイツ航空、シンガポール航空、全日本空輸(ANA)などと同じくスターアライアンス陣営に属している。近距離専門の子会社エア・カナダ・ジャズはカナダ国内とアメリカ路線の一部を運航している。2002年末においてエア・カナダ(エア・カナダ・ジャズを含む)は357機の航空機を保有し、従業員数は約4万人であった。
しかし、2001年9月のアメリカ同時多発テロ以降の世界的な航空旅客需要低迷、国内線の競争激化などで、エア・カナダは2002年には4億2800万カナダドルの赤字を計上。2003年に入ってからはイラク戦争、SARS(サーズ)(重症急性呼吸器症候群)騒動などで経営はさらに悪化し、ついに同年4月に会社更生手続きを申請するに至った。その後コスト削減、財務整理、ドイツ銀行からの融資により、2004年9月に再建処理が終了した。再建後のエア・カナダは持株会社エー・シー・イー・アビエーション・ホールディングスACE Aviation Holdings Inc.の子会社となった。2008年の売上高は110億8200万カナダドル。有償旅客距離数は505億1900万マイル、有償座席利用率は81.4%。従業員数は約2万3000人である。
[野木恵一]