現代外国人名録2016 「エルトンジョン」の解説
エルトン ジョン
Elton Hercules John
- 職業・肩書
- シンガー・ソングライター
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1947年3月25日
- 出生地
- ロンドン
- 本名
- ドワイト,レジナルド・ケネス〈Dwight,Reginald Kenneth〉
- 学歴
- ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック(RAM)
- 勲章褒章
- CBE勲章〔1995年〕
- 受賞
- グラミー賞最優秀楽曲賞(第29回)〔1986年〕「That’s What Friends Are For」,グラミー賞最優秀インストゥルメンタル楽曲賞(第34回)〔1991年〕「Basque」,グラミー賞最優秀男性ポップボーカル賞(第37回)〔1994年〕「愛を感じて」,ゴールデン・グローブ賞主題歌賞(第52回,1994年度)「愛を感じて」,アカデミー賞主題歌賞(第67回,1994年度)「愛を感じて」(曲),日本レコード大賞(特別賞,第39回)〔1997年〕「キャンドル・イン・ザ・ウインド1997」,グラミー賞最優秀男性ポップボーカル賞(第40回)〔1997年〕「キャンドル・イン・ザ・ウインド1997」,グラミー賞リージェント賞(第42回)〔1999年〕,トニー賞(ミュージカル楽曲賞,第54回)〔2000年〕「アイーダ」
- 経歴
- 父は英国空軍将校という中流家庭に育ち、4歳でピアノを始め、11歳でロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックの奨学生となる。在学中からバンド活動を開始し、1969年アルバム「エンプティ・スカイ」でデビュー。’70年セカンドアルバム「エルトン・ジョン」が発表され、その中の「人生の壁」「僕の歌は君の歌」が大ヒットし、一躍その名を知られるようになる。映画「フレンズ」(’71年)で音楽を手がけ、映画「トミー」(’75年)では自ら出演して「ピンボールの魔術師」を演奏。’72年からアルバムが7枚連続全米1位に輝くなど、’70年代最も成功を収めたシンガー・ソングライターとなった。’94年ロックの殿堂入り。’95年21年ぶりに来日公演。同年3月映画「ライオンキング」の主題歌「愛を感じて」など3曲でアカデミー賞受賞。’97年9月のダイアナ元妃の葬儀では追悼歌「Goodbye England’s rose」を歌い、追悼のCD「キャンドル・イン・ザ・ウインド1997〜ダイアナ元英国皇太子妃に捧ぐ」は世界で大ヒットし、シングルの売上枚数としては史上最高のヒット曲となった。’98年ナイト爵位(Sir)を授与される。2000年ブロードウェイ・ミュージカル「アイーダ」(1999年)の作曲でトニー賞作曲賞を受賞。緩急の効いたボーカルとピアノを武器に、世界で3億枚以上のレコード売り上げを記録し、エリザベス女王から輸出への貢献で勲章を受けている。他のアルバムに「キャプテン・ファンタスティック」「ロック・オブ・ザ・ウェイスティーズ」など。環境保護やエイズ撲滅などのチャリティ活動への熱心な取り組みでも知られ、’92年エルトン・ジョン・エイズ基金(本部・アトランタ市)を設立。2000年ジャニーズ事務所の人気タレントで結成されたチャリティーユニット・J-FRIENDSのシングル「I WILL GET THERE」に参加。またサッカー好きで知られ、イングランド1部リーグ・ワトフォードの会長、理事を務めた。2005年英国で事実上の同性婚を認める同性市民パートナー法が施行され、パートナーの男性と結婚。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報