日本大百科全書(ニッポニカ) 「オザンファン」の意味・わかりやすい解説
オザンファン
おざんふぁん
Amédée Ozenfant
(1886―1966)
フランスの画家。故郷のサン・カンタンで素描を学び、ついでパリの美術学校の建築科に入学するが、絵画へと方向を転じ、いわばキュビスムの外周にあって、そのより純粋な、非主観的な世界を目ざす。1915年より17年まで雑誌『エラン』を発行し、ここで彼のピューリスム(純粋主義)の理論的基礎を置き、17年ジャンヌレ(後のル・コルビュジエ)と出会い、翌年、2人の共著による『キュビスム以後』でピューリスムを宣言する。その後20~25年、やはりジャンヌレとともに雑誌『エスプリ・ヌーボー』を発刊し、かたわら総合的キュビスムの厳密化というべき作品を発表。35年よりロンドン、38年以降はニューヨークに住み、ここでオザンファン美術学校を創設。第二次世界大戦後帰国し、パリに没した。
[中山公男]