日本大百科全書(ニッポニカ) 「オタカル」の意味・わかりやすい解説
オタカル(2世)
おたかる
Otakar Ⅱ Přemysl
(1230ころ―1278)
プシェミスル朝のボヘミア王(在位1253~78)。バーベンベルク家の断絶後、中欧に勢力を伸ばし、オーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテン、クラインを領有し、ボヘミアを神聖ローマ帝国内屈指の王国に押し上げた。またドイツ騎士団を支持し、東プロイセンを破り、バルト海岸に居城クラロベッツKrálovec(後のケーニヒスベルクKönigsberg)を置いた(1255)。彼は広大な版図を背景に帝位をうかがうが、その強大化を恐れた諸侯や教皇が、ハプスブルク家のルドルフを皇帝に選ぶに及んでその野望はくじかれ、やがて領土もボヘミア、モラビアに縮小された。1278年、中欧の覇権をめぐってルドルフに最後の戦いを挑んだが、ウィーン近郊のマルヒフェルトMarchfeldの戦いに敗れ、同年8月26日没した。
[稲野 強]