プシェミスル朝(読み)プシェミスルちょう(英語表記)Přemyslovci

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プシェミスル朝」の意味・わかりやすい解説

プシェミスル朝
プシェミスルちょう
Přemyslové

ボヘミア王朝伝承によれば農民プシェミスルを父として,最初の公ボジボイが誕生 (9世紀) 。その後 10世紀頃チェコ諸部族を統治して国家を形成。東フランク (ドイツ) 王 (962年より神聖ローマ皇帝) に臣従し,ハンガリーに対してドイツを支援 (→レヒフェルトの戦い ) ,以後次第に神聖ローマ帝国に対する位置を強化し,王位はウラティスラフ2世 (在位 1061~92) のとき終身制,オタカル1世 (在位 1191~93,97~1230) のとき世襲制となった。オタカル2世 (在位 53~78) ,ワーツラフ2世 (在位 78~1305) のとき全盛,中部ヨーロッパに覇を唱える王家となったが,ワーツラフ3世 (在位 05~06) の暗殺とともに 1306年断絶した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プシェミスル朝」の意味・わかりやすい解説

プシェミスル朝
ぷしぇみするちょう
Přemyslovci

ボヘミアに栄えた西スラブ人の統一王朝(850?~1306)。オーストリアとの間で中央ヨーロッパの覇権を争った。第2代の侯バーツラフVáclav(在位921~929)は、ドイツ勢力の干渉を排除するために、ドイツの宗主権を承認し、キリスト教(ローマ・カトリック)の普及に努めた。彼は死後、教会から聖者に列せられ、ボヘミアの守護聖人となる。11世紀末のブラティスラフ2世Vlatislav Ⅱ(在位1061~92)は、神聖ローマ皇帝より王位を得、さらに1198年、オタカル1世Přemysl Ⅰ Otakarは、世襲王位を獲得するなど、この王朝下で帝国におけるボヘミアの繁栄の基礎が固まった。1306年、バーツラフ3世Václav Ⅲの死で王朝は断絶。以後ボヘミアではルクセンブルク朝の支配が続く。

[稲野 強]

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