オルレアン王党派(読み)オルレアンおうとうは(英語表記)Orléanistes

改訂新版 世界大百科事典 「オルレアン王党派」の意味・わかりやすい解説

オルレアン王党派 (オルレアンおうとうは)
Orléanistes

オルレアン家によるフランスの王位を要求する政治党派で,フランス革命初期に形成され,19世紀末まで存続した。フランス革命期にオルレアン公フィリップ・エガリテ(ルイ16世の従弟)は,革命を支持し立憲君主制の立場をとったが,これがオルレアン王党派の基本綱領となった。オルレアン王党派は王政復古期には自由主義的反対派として政府と対立し,1830年の七月革命によって政権の座についた。七月王政は,オルレアン公ルイ・フィリップ(先のオルレアン公の子)を国王とし,大商人,自由主義的大貴族,法律家,ナポレオン帝政期の貴族,大学教授などの名士に支持基盤をおいていた。オルレアン王党派は社会的地位と富におけるエリート集団をなしており,政治的には中庸を旨とし,無政府主義にも専制主義にも反対し,民主主義と同じく家柄特権に対しても敵意を抱いていた。彼らのモットーは〈秩序と自由〉で,特に経済的活動の自由の保障を要求した。彼らの理想とする政治体制は,安価な政府を保障すると考えられていた代議制であった。七月王政が二月革命によって打倒されるとともにオルレアン王党派は権力の座を追われたが,第二共和政下にも国民議会を中心にして重要な政治的役割を演じた。第二帝政下においては,オルレアン王党派は分裂し,帝政に荷担する者もいたが,指導層はナポレオン3世に対する協力を拒否した。70年9月第二帝政が崩壊した時点では,オルレアン王党派はルイ・フィリップの孫のパリ伯Louis-Philippe Albert d'Orléans,comte de Paris(1838-94)を王位につけようとしたが,オルレアン王党派の中の中央左派はティエールに従って共和政を支持し,他方,中央右派も73年に正統王朝のシャンボール伯Henri V de Bourbon,comte de Chambord(1820-83)が国旗として正統王朝の白旗を主張したため両王党派の合体による王政復古の企図を放棄した。これ以後オルレアン王党派は議会においても勢力を失い,独立した政治党派としては衰退した。
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