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国旗 こっき national flag

7件 の用語解説(国旗の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国旗
こっき
national flag

国家を表象するものとして各国が公式に定めた旗。部族あるいは集団の標識としての旗の歴史は古く,古代エジプトアッシリア,古代ギリシア都市国家はいずれもそれぞれの旗をもっていた。中世には武装した騎士たちが敵味方を識別するために用いはじめた紋章が発達し,さらに海上交通の発展は,船の国籍を示す旗印の発達を促した。

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知恵蔵2015の解説

国旗

日の丸(日章旗)」と「君が代」は、いずれも成文法において定められていたわけではなかったが、種々の経緯を経て、1999年8月、国旗及び国歌に関する法律が成立、施行された。小・中学校の場合は、学習指導要領の58年改訂から77年改訂までは、「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童(生徒)に対して、それらの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚して『君が代』を斉唱させることが望ましい」とされていた。それが、89年改訂から「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するように指導するものとする」とされた。

(新井郁男 上越教育大学名誉教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

こっ‐き〔コク‐〕【国旗】

国家の象徴として制定された旗。国籍のしるしとして船舶などに掲げ、また、国家の祝祭日、外国へ敬意を表する場合などに掲揚する。
[補説]国旗の名
日章旗(日本)
太極旗大韓民国
五星紅旗中華人民共和国
青天白日満地紅旗中華民国
星条旗アメリカ合衆国
新月旗トルコ
トリコロールフランス
ユニオンジャックイギリス

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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百科事典マイペディアの解説

国旗【こっき】

国家を表徴する尊厳な標識で,法的または慣習的に定められている。たとえばインドネシア,中華人民共和国,ドイツ連邦共和国,フランス,ブラジルなどでは憲法で国旗が規定されるが,伝統的に定まっているものも多い。
→関連項目赤旗(旗)国民国家はた(旗/幢/幡/旌)

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世界大百科事典 第2版の解説

こっき【国旗 national flag】

国家を表徴する尊厳な標識。厳密な意味での国旗が制定されるようになったのは,いうまでもなく近代国家成立以後のことであり,したがってその歴史は18世紀以降に属するが,その原型となったのは戦場における敵味方識別のための旗や幟(のぼり)であった。それはときには部族の象徴であり,あるいは特定の軍団のシンボルであった。しかし,それが国旗に近い性質を示すようになったのは,十字軍遠征のときであった,とみることができる。

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大辞林 第三版の解説

こっき【国旗】

その国を代表するしるしとして定められた旗。国家を象徴する旗。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国旗
こっき

国旗は国のシンボルであり、時に応じ、国の領域、国家の権威、国民の統合を表徴する。また、近年では国連における掲示がそうであるように国の加盟を表したり、国際会議のように参加を表示したり、オリンピックなどスポーツ競技会での使用のように勝利者の国を示すために用いられたりする。国連加盟国中、約120か国が憲法で国旗に関するなんらかの規定を設けており、日本をはじめ、ほとんど大部分の国では国旗を法制化している。[吹浦忠正]

国旗の歴史


古代の国旗
古代の旗は戦場で将兵の集合地を示す目印として用いられたとされる。考古学や歴史学の成果としての国旗のいちばん古い使用例は周の武王(紀元前12世紀ごろ)の「白い旗」であるとされる。
 漢字には「はた」を表す文字がいろいろある。中国では「旌(せい)(あざやかな色の鳥の羽をつけたはたじるし。昔は兵卒を元気づけて進めるために用いた。のち、使節の持つはたじるし)」「(き)(竜を描き、はたざおの端に鈴をつけたはた)」「旃(せん)(無地で赤い旗。兵や人夫を指揮するのに用いた)」「旆(はい)(いろいろな色の布で、二つに開く尾をつけたはた。舟や車の上に立てる)」「旄(ぼう)(毛でつくったはたかざり。毛深い牛のしっぽを用いた)」「旒(りゅう)(流れるようにゆらゆらするふきながし)」「旛(ばん)(広げてたらしたはた。幡と同じ)」「幟(し)(のぼり。目じるしのためにたてる旗)」「幢(とう)(はた。絹の幕で筒型に包んでたらした飾り)」などである。「(おん/えん)」ははたのゆらめくさまを描いた象形文字で、「ハタ」を表している。したがって、「族」は「旗の下に矢を集めて置いたさま」のことであり、「旅」は「人々が旗の下に隊列を組むことを示す」。また、「於」は「じっとつかえて止まることを示す」(藤堂明保編『学研漢和大字典』)。
 こうした漢字を調べていくと「ハタ」の使用目的や種別がいろいろと判ってくる。すなわち、少なくとも中国では「ハタ」には(1)同族、同集団であることを示すシンボル、(2)人が集まるための目印、(3)儀式などでの飾り、といった役割があったといえるのではないだろうか。
 インドでの使用も古く、紀元前10世紀ごろの叙事詩『マハーバーラタ』には「動物を描いた旗」があったことを示す記述がある。エジプトは織布や染色の技術をもっており、「ファルコン(ハヤブサ)を描いた旗」やファルコンを頂いた飾り棒を使用していた。また、アッシリア(前13世紀~前612)のしるしは「1頭の雄牛や2頭の雄牛がしっぽでつながっているようすを描いた円板」であった。
 下って、ギリシアの都市国家ではアテネが「フクロウ」、コリントが「天馬(ペガソス)」、ビオティアが「雄牛」、テーベが「スフィンクス」、クレタが「牛頭人身像(ミノタウロス)」をシンボルにしていた。ナポリの国立考古学博物館にはイタリア中部地方の勇猛果敢な部族として知られたサムニウム人が軍旗を掲げているようすを描いた石がある。ナポリ西方のサレルノ湾に添った古代都市パエストゥムの遺跡から掘り出されたもので、「兵士の捧(ささ)げる竿に吹流しと四つに仕切られた赤い旗」からなる縁のついた旗がある。完成された形態の旗が紀元前4世紀に存在していたということを意味する。
 ローマでは初めはどの部隊も「干草の束」を結んで竿の先端につけたものを目印にしていた。その後、「オオカミ」「半牛半人」「ウマ」「イノシシ」などを旗印にする部隊も出てきた。これを統一し、部隊間の無用の競争や反目を防ごうと、紀元前104年にコンスルに就任したガイウス・マリウス将軍(前157―前86、無産市民を武装させて初の職業軍人を出現させたり、編成や装備の面でも独創的な大改革をしたことで知られる)が「ワシ」を正式にローマのしるしとして採用した。
 ローマ帝国のキリスト教化が進むにつれ、騎兵隊はべクシルムvexillumという「十字架に縁どりした正方形の布をたらしたもの」を用いた。[吹浦忠正]
紋章と国旗
旗を騎士が自由に用いるようになったのは、ヨーロッパでは十字軍時代になってからのことである。それまではむしろ紋章が主体であった。
 中世後期から「紋章学(heraldry)」が異様ともいえるほど発達し、旗のみならず一般のデザインの原則をも確立した。紋章は初めは兵士の盾に描いたものであった。盾は古くは木製だった。ノルマン人の逆三角形のような盾が身を守るのに適した形だということでこれが大いにもてはやされた。これを補強するための帯の直線模様が、西洋の紋章の主流の一つである「オーディナリ型」のもととなった。他の一つは盾に「ワシ」や「ライオン」といったなんらかの具体的な絵を描く「チャージ型」の紋章だ。
 このころ、ヘラルドherald(紋章官)といわれる人たちが取り仕切るトーナメントがよく行われた。騎士が美しく着飾って観客の前で模擬戦闘を披露するというものである。ヘラルドは勧進元ないし呼び屋であり、進行役であり、勝者をたたえる詩を披露する役でもあった。このヘラルドたちはトーナメントをより盛り上げるために盾のデザインに凝り、紋章学なる煩瑣(はんさ)なルールを練り上げていった。
 今日の国旗にも生かされている紋章学の原則はいろいろある。たとえば、メタリックといわれる「金(黄色で代行)、銀(白で代行)、黒は互いに接触してはならない」という規則。また、カラーとよばれる「青、赤、緑など有彩色は互いに接触してはならず、その間はメタリックでくぎられていなければならない」などの規則があり、今日の各国旗でもかなり尊重されている。
 他方、13世紀末のハンザ同盟加盟都市においては、旗の掲揚について煩瑣でかつ厳格な規定を設けていた。
 旗が普及したのは、旗が実戦で必要とされたことや、布製の旗を用いたサラセン軍の影響で定着した習慣といえよう。十字軍Crusaderということばはスペイン語のCruz(十字架)からきたことば。十字架のしるしをさまざまに用いてイスラム側と区別していた。あまりの暑さで兜(かぶと)を脱ぐかわりに十字を描いた布をかぶったと伝わっている。また、剣が熱くなるので体全体を十字架のついたコートで覆ったことから、英語の「紋章」ということばがCoat of Arms(武器を覆う陣羽織)ということばになったといわれている。これらがやがて旗になったり、盾に描かれて紋章になった。
 現在のデンマークの赤地いっぱいの白十字の国旗やオーストリアの赤白赤の横三色旗のように、この十字軍の時代に起源をもつものもある。苦戦を強いられていたとき天から旗が降ってきたとか、相手の返り血を浴びて純白の陣羽織がベルトの部分を除いて真っ赤になったという伝説が残っている。
 こうした紋章から色をとって国旗にしたという例はヨーロッパにいくつかある。「黒地に赤い舌を出した黄色いライオン」というブラバント公家の紋章から黒黄赤の色をとったベルギーの縦三色旗、「青の縞(しま)のある銀の台上の赤いライオン」というルクセンブルク大公家の紋章から赤白薄青の色をとったルクセンブルクの横三色旗などである。
 他方、三色旗は国民一般の国旗の使用を導いた。王や皇帝など独裁者のものだったり、紋章学者のものだった国旗がフランス革命以降、国民が広く自由に使えるようになった。同時に、国旗が民族の統一、市民国家の独立、支持する政治勢力を示す象徴にもなった。
 中南米の国旗の紋章は、国内ではしばしば取り除いた略式の形で用いられる。これを国民旗とよぶ。ただ、それではどこの国旗かわからなくなったり、他の旗とまったく同じになってしまうというので、いつも紋章付を用いるという例もある。メキシコの国旗は緑白赤の縦三色旗で中央に「サボテンに止まったワシがヘビをくわえている紋章」のついたもの。紋章を取り除いてはイタリアと同じ旗になってしまう。同様に、中米5か国のうち、エルサルバドルとニカラグアは中の紋章をとっては同じ旗になるし、コロンビア、ベネズエラ、エクアドルのかつて大コロンビアとして一つの国となっていた3国も同じである。
 南北アメリカの国旗には紋章のついたものが多い。中南米の大陸部のほとんどの国はスペインからの独立国。18世紀の初め、本国がナポレオンによる侵略を受けて海外植民地経営どころでなかった時期に、多くの独立運動が端を発している。そのスペインの国旗が紋章付。フランコ総統の時代には大きなワシのついた紋章であったが、王制に戻った現在は王冠に変わった。
 そのスペインやポルトガルなどによる大航海時代から、布製の比較的色数の少ない国旗をロープでポールに掲げるという現在の国旗掲揚方式に近い使用が発達した。船乗りが航海中、旗の破損を原反布で補修することができるというデザインがこの当時の国旗の特徴である。カントンとよばれる竿側(かんそく)上部が重要視され、そこには紋章やデザイン上の基幹となるものが描かれるようになった。今日もその原則は続いている。[吹浦忠正]

国旗のデザインと色


国旗の縦横比
各国旗でいちばん多い縦横比は2対3であるが、ほかにも「星条旗」の1対1.9、「ユニオン・ジャック」の1対2をはじめ、さまざまな比率がある。このため、多数の国旗を併用する国連やオリンピックでは各国の国旗に大小を感じさせてはならないことや、製作や使用上の便宜など総合的な見地から、各国旗の縦横比を統一している。また、各国旗には、かならずしも縦横比が厳密に決まっていない国旗が少なくない。このため各国旗を紹介する諸外国の出版物でも2対3に統一し、デザインを若干デフォルメせざるをえなくとも、そうしているものが多い。本百科事典の図版では各国旗を2対3の縦横比に統一して紹介した。[吹浦忠正]
国旗の色
国旗にいちばん多く登場するのは赤、やや少なく白が続く。目だちやすいこと、奮い立たせる色であること、古来染色しやすい色だったことなどによるという。赤と白のみの国旗は、「日の丸」のほか現在、デンマーク、オーストリア、カナダ、トンガ、インドネシア、シンガポール、トルコ、バーレーン、チュニジア、スイス、モナコ、ポーランド、ジョージア(グルジア)の計14か国。ベラルーシも白赤白の横三色旗であったが、1995年5月の国民投票でソ連時代の旗から鎌と槌(つち)を取り除いたものに戻った。ペルーは国内では赤白赤の縦三色旗で紋章はめったに用いない。
 3色の組合せでは、青白赤が断然多く、ついで、赤黄緑。オランダの赤白青の三色旗が始まりで、フランス、イギリス、アメリカ、そしてオランダに「留学」したピョートル大帝に影響を与えて、ロシアからスラブ諸国全体に広まった。
 青や赤といってもさまざまな色があるのはいうまでもない。「日の丸」の赤の色は法的に規定されていないが、「星条旗」はアメリカ合衆国色彩協会の色票番号で「70180番の赤」ときちんと決まっている。
 「日の丸」を制定した、1870年(明治3)の太政官(だじょうかん)布告第57号と同651号では色について、「白地日の丸」(57号)、「白布紅日章」(651号)と表記されている。また、1931年(昭和6)の大日本国旗法案では「白地に赤」。明度、色相、彩度がどんなものなのか不明で、色彩学的に厳密な表示とはいえない。1999年(平成11)8月に施行された国旗及び国歌に関する法律(法律第127号)の附則によると「彩色は地が白色、日章は紅色」とされ、当面、厳密な色の規定は定められていない。
 1962年(昭和37)、グラフィックデザイナーの永井一正(かずまさ)(1929― )らは「日の丸は量的にみて生地に染色した国旗よりも印刷してマスプロされた国旗のほうが需要が多いのではないか」ということで、新しい「日の丸」の赤を「大日本インキ3072(マゼンタ)+Z3045(イエロー)」と明示した。
 東京オリンピックを前にした1962年から1963年にかけて、日本色彩研究所が「日の丸」の赤を特定することはできないかと調査し、色相は5.0Rから9.0Rまでに、明度は3.0から5.0までに、そして彩度は12.0~16.0までの範囲に集中していることが判った。そこで、その平均値を求め、さらに、「桜島に昇る初日の出の色」といったという島津斉彬(なりあきら)の故事も尊重して念のため分光機で分析したり、口紅の研究で「赤の権威」となっている資生堂の研究所にも応援を求めて日本人の好みの赤について意見を求めたりもした。そしていちおうの基準値として、「和名:くれない、英語名rising sun redすなわちマンセル値8.0R 4.5/15.5」という「日の丸」の赤の標準値とでもいうべき色の提案をした。この色は、「星条旗」の赤として規定された赤に比べると確かに違う。「やや黄みがかった朱といわれる色に近い」赤ということになる。永井一正らの指示した色のほうがまだ「星条旗」の赤に近い感じだ。
 赤の表記について他の国の規定をみてみると、イギリスの「ユニオン・ジャック」は、イギリス国旗研究所がパントン色見本帳のPMS032Uと勧告。オーストラリアの「ユニオン・ジャック」も、同研究所の見本帳のPMS185。オランダ国旗は、国際照明委員会のCIE表色系表示法による刺激値で、X=18.3 Y=10.0 Z=3.0。バングラデシュ国旗は、イギリス国色彩基準のH2RS1000に対しオレンジ60を加えたもの。アルジェリア国旗は、ルードのコントラスト・ダイアグラムの6562オングストローム、ノーマルスペクトラムの285ポジションとなっている。
 1960年代後半から、旗の色を周波数で決めたり、色彩学的に色調、明度、彩度の色の3要素で決めたり、具体的にインクの%で表示したり、権威ある色票の番号で規定するなど厳密な決め方をする国が増えてきた。ただ、(1)各国旗の表示法がばらばら、(2)布地や染色法で見た目にかなり違って見える、(3)同じはずのイギリス国旗とオーストラリア国旗で赤が違うなどという矛盾があるなど、いまだ世界的に標準化されていない。
 国連やオリンピックを始め、旗の製作や印刷物の作成にあたっては、原反色についていちおうの統一を図って表示したり、製作しているのが常である。ちなみに、東京オリンピックでは10色の原反をベースに各国旗を製作した。長野オリンピックでは各国オリンピック委員会に照会した結果に基づき、15色に増やした。それでも「日の丸」の赤も「星条旗」の赤もまったく同じ色にした。従来、世界でもっとも権威ある国旗の出版物とされてきたイギリス海軍省の『Flags of All Nations』では黒、白のほか10色が基本色。赤は1色、青は基本的に4段階の濃淡で区別しているのは東京、長野両オリンピックの場合も同じだ。すなわち、(1)星条旗やユニオン・ジャックの「ネイビー・ブルー(濃紺)」、(2)ギリシアやイスラエルの国旗の「ロイヤル・ブルー(紺青)」、(3)国連旗やスウェーデン国旗の「インターメディエイト(サックス)・ブルー(空色)」、(4)アルゼンチンやウクライナ国旗の「アズュール(ライト)・ブルー(薄水色)」である。[吹浦忠正]
国旗の地域的特徴
国旗にはいくつかの地域的な特徴がある。
 アジアの国旗では、「日本からバングラデシュまでの国旗にはかならず赤が用いられている」というのが第一の特徴。例外は、チベット仏教(ラマ教)をオレンジ色で表したブータンのみ。もう一つの特徴は、「東アジア、東南アジアの国旗には緑がない」ということ。「緑の国旗はバングラデシュから」で、バングラデシュ、インド、スリランカ、パキスタン、モルジブ、アフガニスタン、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア……と続く。例外はイスラエル、バーレーン、カタール、イエメン。そのイエメンの赤白黒の横三色旗にワシの紋章のついた国旗がエジプト、緑の二つ星をつければシリア、緑の三角形をつけたのがスーダンである。中東はまた黒白赤緑の4色の組合せが多い。
 続くアフリカ大陸、サハラ以南のブラック・アフリカでは、緑黄赤の3色が断然多い。エチオピアの緑黄赤の横三色旗が1950年代後期からのガーナ、ギニアに始まる「独立ブーム」で「アフリカ統一」の理想を託す色として各国旗に取り入れられた。なかには国民を表す黒を加えたのもある。3色を原則とし、多くの植民地が一挙に独立したため3色を斜めにしたコンゴやT字型にしたベナン(旧、ダオメー)といった例もあり、当時、世界を驚かせた。
 長らくヨーロッパの国旗には星がなかった。このためEU(ヨーロッパ連合)の旗は青地にEUとなったときの原加盟国数である12の黄色い星を円状に並べたものとされた。そのEUの支援を大きく受けて国の復興を進め、統一を図ったボスニア・ヘルツェゴビナの国旗は1998年2月4日、長野五輪開会式でアピールすることを狙って制定されたものだが、当時はヨーロッパの国旗で唯一、星を羅列したデザインであった。
 次にイスラム諸国旗の特徴についてみてみよう。いうまでもなく国旗は一つのシンボルであり、そのシンボルを特別に尊重するということは、偶像崇拝を認めないイスラム教徒の生活慣習には、いまひとつなじみにくいものがあるようだ。7世紀にムハンマドが布教を目的とする激しい戦争をしたときには黒い旗を用いたと伝えられている。言い伝えによれば、これはムハンマドの愛妻のテントの入口にかかっていたカーテンだったもので、いまでもイスラム教徒のかなりの人々は、この旗がどこかに現存しているはずだと信じているとのこと。ムハンマドを後継したカリフたちはそれぞれ違った色を旗印にした。オマイヤッド家がムハンマドのターバンの色ともいわれている白(他の説ではターバンは緑)を、アッバーシド家は預言者と同じ黒、ファティミード家は預言者のコートの色といわれている緑を旗の色にした。ところがハリジーテス家は他の3家と対立し、預言者が用いなかった赤を旗の色にした。同家は主としてアラビア半島の東海岸を支配したので、20世紀に至るまで同地方の旗はほとんど赤系1色であったし、バーレーン、カタール、オマーン、アラブ首長国連邦の各構成国などの国旗にいまでも名残(なごり)がある。イスラムでは偶像崇拝を厳しく禁じているから、今日に至るもほとんどのイスラム諸国の国旗には紋章がないなど概して単純なデザインになっている。このためイスラム諸国の国旗には『コーラン』の聖句やモスクを描いたものや、ヨーロッパのキリスト教勢力に対峙(たいじ)してきたトルコの国旗に由来する三日月と星を描くものなどが多く、イスラム教諸国では「赤十字」社も「赤新月」社となっている。色は、イスラム創始期の4代カリフを4色で表したものが多い。逆にいえば、中東のイスラム教国の国旗の特徴は「青がめったに用いられない」ということだ。以前、南イエメンの国旗に青が用いられたが、北イエメンとの合併で、1993年に消えた。[吹浦忠正]
日の丸
日の丸は日章旗ともよばれ、その起源は『続日本紀(しょくにほんぎ)』(797)にさかのぼるといわれている。文武(もんむ)天皇(在位697~707)が701年(大宝1)の元旦(がんたん)、大極殿(だいごくでん)に蕃夷(ばんい)の使者を左右に並べて朝賀(ちょうが)の儀を行い、その場の飾り付けとして「左 日像(にちぞう) 青龍朱雀幡(せいりょうすざくばん)、右 月像(げつぞう) 玄武白虎幡(げんぶびゃっこばん)」が並べてあったと記述されている。ただし、これが日の丸の起源だということには異説がある。これはまさに中国風の飾り付けだというのだ。太陽と月の一対の飾りは、やがて簡略化して金板、銀板となったり、円形と三日月形となったりして、現在では相撲(すもう)の軍配、石灯籠(いしどうろう)、雅楽器、神社の飾り物などに用いられ、日の丸とは別のシンボルないし社会様式となっている。
 ここでは、太陽を図案化したような飾り物を中国の式典儀礼のなかにみいだし、その一部が日本化して、やがて日の丸となり、時代を経て日本のシンボルとなっていったとする見方(太陽と月の一対という原形を別に残しながら、一方で簡略化して日章のみが単独で用いられるようになっていった、つまり文化の分岐が行われたという見方)をとりたい。
 武士の時代になると、日の丸は朝廷に忠誠を誓う武士の集団であることを示すものとみなされるようになった。また、源義朝(よしとも)、那須与一宗高(なすのよいちむねたか)、蒙古(もうこ)襲来時の日蓮(にちれん)、法然(ほうねん)などにかかわる話には日の丸が登場する。元弘(げんこう)時代(1331~1334)に後醍醐(ごだいご)天皇が笠置(かさぎ)山に行幸したときの日の丸といわれるのが、吉野の賀名生(あのう)町(五條市)の堀家に伝わっている。現存する最古の日の丸の旗である。応仁(おうにん)の乱のころになると、日の丸に背くのは朝敵ということがいよいよはっきりする。日の丸は、武田信玄(たけだしんげん)、上杉謙信(けんしん)、伊達政宗(だてまさむね)、小西行長(ゆきなが)、加藤清正(きよまさ)など著名な武将たちが競って用いた。『長篠長久手合戦図屏風(ながしのながくてかっせんずびょうぶ)』や『関ヶ原合戦図屏風』にも日の丸に類する幟(のぼり)が数本みられる。山田長政や支倉常長(はせくらつねなが)は海外で日の丸を用いた。
 1853年(嘉永6)11月、薩摩(さつま)藩主島津斉彬(なりあきら)や水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)が日の丸を国旗として制定すべしと提案し、老中阿部正弘が1854年(安政1)7月9日(旧暦)に、「異国船に不紛様、日本総船印は白地日之丸幟相用ひ候様」という「船印之儀に附御触書」を出し、同11日に布告された。
 1870年(明治3)1月27日、太政官(だじょうかん)布告第57号が「商船規則」を定め、商船に掲げるべき国旗について、大、中、小の三つの大きさの日の丸を実寸で定めた。これを整理すると「縦横比は7対10、丸の大きさは縦の5分の3、丸の中心は100分の1竿側寄り」となる。さらに同年10月3日、太政官布告第651号が出され、「海軍御旗章国旗章並諸旗章」が定められ、「縦横比は2対3、丸の大きさは縦の5分の3、丸の中心は旗面の中心」と規定された。商船用と海軍用とデザインが違うことから、長期間日の丸のデザイン論争があった。その後、日本国憲法第98条で651号を含むすべての海軍関係の法令が失効したが、依然有効な太政官布告第57号そのものの内容には、(1)旗の大きさ(船舶用のため大、中、小旗とも一般の使用には大きすぎるという問題)、(2)7対10という世界の国旗のなかでも珍しい縦横比でよいか、(3)円の中心がどこか、(4)商船のみを拘束する国旗規定である、などいくつか問題点があった。
 1931年(昭和6)2月、衆議院議員石原善三郎が第59回帝国議会に「大日本帝国国旗法案」を提出、衆議院は3月25日これを可決した。しかし、9月18日満州事変勃発(ぼっぱつ)。国旗法案は審議未了、廃案となった。その後、衆議院は解散、石原は落選し国旗の法制化は頓挫(とんざ)した。第二次世界大戦後、1962年からの「公式制度調査会」の活動、1973年、当時の首相田中角栄による「国旗法」制定の主唱など少なくとも三度、国旗の制定についてかなりの動きがあった。その後も、広く一般を拘束する日本国旗のデザイン法は存在しないまま、1998年(平成10)の長野オリンピックでは「縦横比2対3、丸の大きさ縦の3分の2、丸の中心は旗面の中心」という「日の丸」を、また日本航空と全日空はこれらのそれぞれが異なる「日の丸」を使用するという状況が続いてきた。
 1999年2月、広島県下で卒業式における国旗掲揚国歌斉唱をめぐる対応に悩んだ公立高校校長が自殺するという事件が起き、にわかにその法制化が進められ、同年8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」(国旗・国歌法)が成立した(同月13日発効)。同法では、国旗を「日章旗」(国歌を「君が代」)とするとのみ規定し、その制式は(国歌の歌詞および楽曲とともに)附則で規定し、「縦は横の3分の2、日章は縦の5分の3、日章の中心は旗の中心」とし、彩色は「地は白色、日章は紅色」とした。それまで有効であった太政官布告第57号は廃止され、日の丸のデザインの混乱は解消した。なお同法において、国旗の使用などに関する強制や罰則の規定はない。[吹浦忠正]
十字型旗
十字型旗はキリスト教国のものであるのはいうまでもない。とりわけ北欧に集中している。「ダンネブログ旗(赤旗)」とよばれるデンマークの赤地に白十字の国旗がもっとも古く、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、フィンランドの北欧5か国の国旗はいずれも同タイプの十字型の国旗である。イングランド、スコットランド、アイルランドの十字があわさってユニオン・ジャックが考案されたことは後述の「ユニオン・ジャック」のとおりである。このほか、国旗に十字型のものを有するのはスイス、ギリシア、ドミニカ共和国などであり、さらにガーター勲章の一部が描かれているマルタの国旗をはじめ、いくつかの国旗の紋章に十字架が登場する。なお北欧5か国旗は、商船などで用いる場合には国旗の先端がツバメの尾のようになったもの(燕尾(えんび)旗)となる。2004年に新しく制定されたジョージアの国旗も五つの赤い十字架で構成されている。[吹浦忠正]
三色旗
三色旗(トリコロール)を初めて用いたのはオランダ。スペインからの独立戦争で指導的役割を果たしたオレンジ公に敬意を表し、同公家の紋章から色をとった。同様にベルギー、ルクセンブルクも紋章を構成する3色を国旗にした。ロシア国旗はピョートル大帝がオランダで見た同国の国旗に影響されて考案したもの。そしてその白青赤がスラブ諸国の色となって、旧ユーゴスラビアやチェコ、スロバキアなどの旗に影響した。ブルガリアの国旗はロシア国旗の青を緑にかえたものである。一方、フランスの三色旗も多くの国の旗に影響を与えた。イタリア国旗はこの地方を平定したナポレオンの影響によるものであり、あたかもロシアとブルガリアのように、フランスの青を緑にかえた旗がイタリアの国旗となった。フランスを宗主国とするアフリカの国々の国旗には緑黄赤の三色旗が多い。これはアフリカ統一の理想を込めた色とされるが、アフリカでもっとも古い独立国とされるエチオピア国旗に由来しつつ、フランス三色旗の影響を受けたものといえる。1960年に独立した国々が多く、このためコンゴ共和国(旧、人民共和国。首都ブラザビル)のように3色を斜めにしたり、ベナンのようにT字型に組み合わせるという例も生まれた。もちろん三色旗だけの組合せでは限度があるため、チャドのように、フランス国旗の白を黄色にしたものもあれば、マダガスカルのように緑黄赤の3色の黄色を白にしてT字型にした例もある。チャドの国旗は同じくフランス国旗の影響で生まれたルーマニア国旗と同じデザインである。中南米の国々にも三色旗が多い。これは19世紀前半、フランス革命の影響を受けて独立運動が盛んになったことに由来する。[吹浦忠正]
ユニオン・ジャック
イギリス国旗は、ユニオン・ジャックUnion Jackの名で親しまれている。「ユニオン」は統合、「ジャック」は船尾の小旗の意。ユニオン・ジャックはこの国がイングランド、スコットランド、そして北アイルランドからなる連合王国であることを示している。すなわち1277年にイングランドの国旗となった聖ジョージの旗(白地に赤い十字)に、1603年スコットランドから王を迎えたときに、スコットランドの聖アンドリューの旗(青地に白の斜め十字)を組み合わせた。これがユニオン・ジャックの始まりである。1800年アイルランドを併合、アイルランドの聖パトリックの旗(白地に赤の斜め十字)を加えて、今日のユニオン・ジャックになった。ユニオン・ジャックはかつては世界各地の植民地の旗にはもちろん、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった自治領でも、その国旗のカントン(竿側上部)に描かれていた。しかし1965年に民族問題からカナダがカエデの旗に変更、オーストラリアでは共和制への移行とからんで国旗も揺れ動いている。ツバルでは一時ユニオン・ジャックを取り入れた国旗を変更したが、1996年にふたたびもとに戻した。加えて1998年4月、北アイルランドの紛争が停戦合意となり、アイルランド憲法から同地方の領有が外され、イギリスの支配力も大幅に削減されることになった。今後の進展状況によっては、ふたたび聖ジョージと聖アンドリューの旗だけから成るユニオン・ジャックに戻らないとも限らないとみられている。ハワイの州旗でもユニオン・ジャックが大きく登場するが、これは1778年にジェームズ・クックが同諸島を発見したことに由来する。[吹浦忠正]
星条旗
アメリカ合衆国の国旗の呼び名で、原語はStars and Stripes(スターズ・アンド・ストライプス)。1776年イギリスからの独立を宣言した東部の13州は、翌1777年13星と13本の条からなる星条旗を採択した。原作者には諸説がある。1795年、ケンタッキーとバーモントの両州が成立すると15星15条となったが、1818年の法律で星の数は合衆国を構成する州の数とし、条は原州の数13のままとすることになった。星条旗はこれまでに7回、星の数が変更になった。第二次世界大戦時を含んで48星の星条旗が47年間続いた。現在の星の数は1961年以来の50。また星条旗はアメリカの影響下に独立した国の国旗に大きな影響を与えており、1星11条のリベリア国旗をはじめ、キューバ、パナマ、チリ、フィリピンなどの国旗にその影響がみられる。また、星の数がその国の構成体(州など)の数を表すというのはブラジル、ボリビアなどの旗にみられる。[吹浦忠正]
赤旗
赤1色の旗はフランス大革命当時は戒厳令の発布を示すものだった。1789年7月14日、バスチーユ監獄が襲撃されたとき、議会は市民の暴動の拡大に備えて赤旗を掲げ戒厳令を知らせた。また、1791年7月17日、戒厳司令官ラ・ファイエットはシャン・ド・マルス広場に集まった不穏な民衆に対し武力行使を行い死者を出したが、これに怒った民衆は、翌1792年、「王家の反乱に対する人民の戒厳令」と書いた赤旗を押し立てて、主権在民を叫び、これが今日の意味の赤旗の始まりとされる。その後、赤旗はさらに過激な意味を含み、社会主義者、共産主義者のシンボルとなり、1917年のボリシェビキ革命後、ソ連の国旗となり、その構成主体の15共和国がいずれも同様のデザインの国旗となった。また中国(五星紅旗)、ベトナム(金星紅旗)は赤旗をベースに、黄色い星をつけたものとなった。モンゴルも赤青赤の縦三色旗の竿側の部分に民族的なしるしをつけ、その一部に黄色の星を用いた。第二次世界大戦後、共産党系の政権が続いた東欧諸国ではこうした例はみられず、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーが社会主義政権らしい紋章をつけた(ハンガリーは1956年の紛争後撤去)。旧ユーゴスラビアは大きな赤い星をつけ、同様に北朝鮮も赤い星となっている。ソ連崩壊後はその構成国はいずれも民族的な国旗に復帰したり、新しく決めたりして赤旗から離れたが、ベラルーシはふたたびソ連時代を彷彿(ほうふつ)とさせる国旗に復帰した。またモンゴルは黄色の星を取り除き、ルーマニア、ブルガリアは紋章を、新ユーゴスラビア(2003~2006年はセルビア・モンテネグロ)は旧ユーゴ時代の星を撤去した。その後、2006年6月にセルビアとモンテネグロに分離し、それぞれ新しい国旗を制定している。[吹浦忠正]

国旗掲揚法

国よっては法令で「フラッグ・コード」を定めて掲揚法を規定しているし、国連旗にも同様の規則がある。日本にはそうした法規はないが、常識と確立された国際的なマナーないしエチケットを尊重することが望ましい。国旗取扱いの基本は、国旗はその国のシンボルとして、これに敬意を抱き、慎重に取り扱うべきものであるということだ。
 これを具体的に示すと以下のようになる。
〔1〕図柄の正しいものを使用する。諸外国の国旗のなかには、革命や敗戦はもとより、国家の分離や州の増加、政権や政治制度の変化などでデザインが変更されるケースがままある。なかには、紋章学的に整理したためといった例もある。「日の丸」が明治維新や敗戦でも変わらなかったことから、ややもすれば、日本人には国旗が変わるという意識に欠ける場合があり、注意が必要だ。また、国によっては、使用する立場や場所でデザインの異なる国旗を使用する場合がある。典型的な例はイギリスとギリシアであり、イギリスでは大使館が用いている「ユニオン・ジャック」には紋章がついている。また、ギリシアでは陸上の国旗と海上の国旗が違うため、オリンピックでもヨット競技は別のデザインの旗を用いている。概して、政府公官庁が国旗を用いる場合には、ドイツ、フィンランド、コスタリカなど紋章を加える例が多い。このため、国連が発行したり、日本でも外務省が関係した出版物には紋章つきの国旗の登場することが多いが、これは政府旗というべきもので、一般の国民は使用しなかったり、使用できない決まりになっている。
〔2〕垂直掲揚の場合、特別の注意を払う必要がある。リヒテンシュタインの国旗は公冠が横倒しのようにならないよう、水平掲揚時の冠を90度回転させた旗を用いる。また、北朝鮮のように国旗のなかの星がデザイン上の大きな要素になっている場合、その星を90度回転させて、星の一端が上向きになるようにするのが通例という場合もある。また、アメリカ国旗のように、カントン(竿側上部)がつねに左上になるように、水平掲揚時の旗を裏返して掲揚しなくてはならない規則のある国旗には注意を要する。
〔3〕逆掲揚は、ときにその国を侮辱する意味ととられかねず、十分注意したいもの。とくに、イギリス国旗のように、入念な注意がないと上下の区別に気づかないような場合があることに留意したい。
〔4〕掲げられた国旗を引き降ろすことや、火をつけて燃やすというのは、国旗を故意に侮辱する行為であり、厳禁である。
〔5〕国旗はひきずったり、汚したりといったことがないように扱わねばならない。そのためにはポールに掲揚する場合には、複数(できれば3人以上)の要員で掲揚することが望ましい。すなわち、ロープを引く人、引上げ当初、国旗を保持する人、そしてそれを指揮または観察する人である。ロープは厳重に固定し、国旗の一端が竿頭から離れないよう固定しなくてはならない。
〔6〕弔慰を表す国旗の掲揚には三つの掲げ方がある。(1)国旗掲揚塔がある場合には、一度上まで揚げてから途中まで降ろす、(2)家庭用の竿なら竿頭を黒布で覆うか、竿頭から細い黒布を垂らす、(3)屋内に張り付ける場合は、竿側上端に黒または白と黒のリボンを作り布の端を垂らす。
〔7〕破れた旗をいつまでも使用することは避けるべきである。かつて、軍艦や商船では原反染の布地を常備し、水兵や船員が国旗や信号旗の破損部分を新しくするという伝統があったが、現在ではそうしたことはめったにないものと思われる。破れた旗は焼却が原則である。また、国旗に文字や模様を書き込むのも、日本以外にはあまり行われない慣習である。
〔8〕雨天や管理体制のない夜間での掲揚は避けるべきである。
〔9〕複数の国旗を同時に掲揚する場合は、奏楽などにあわせて、バランスよくポールの頂点に揚がるようにしなくてはならない。また、「向かって左」「最高位置」が上位であるという原則に従って掲揚位置を決定する。
〔10〕国連旗はつねに最上位に掲げられねばならない。[吹浦忠正]

国旗国章損壊罪

日本の刑法は第92条で「外国国旗国章損壊罪」を定め、「外国ニ対シ侮辱ヲ加ウル目的ヲモッテソノ国ノ国旗ソノ他ノ国章ヲ損壊、除去マタハ汚穢(おわい)シタル者」に対し「2年以下ノ懲役マタハ1万円以下ノ罰金」を課すとしている。「但シ、外国政府ノ請求ヲ待ッテソノ罪ヲ論ズ」ということもあって、1907年(明治40)の現行刑法施行以来、この罪の適用例がない。ただし、罰金は1991年(平成3)の「罰金の額等の引上げのための刑法等の一部を改正する法律」により20万円以下となっている。日本の国旗については、「外国旗」ではないので、燃やしても軽犯罪法か一般的な器物損壊罪が適用される程度になる。1999年に制定された国旗及び国歌に関する法律(法律第127号)においても罰則は定められていない。1987年(昭和62)の沖縄国体で起きた「日の丸引き降ろし焼却事件」で、那覇地裁は懲役1年執行猶予3年の判決を下したが、ほかに適用すべき法律がなく、罪状は「器物損壊罪」だった。ちなみに、外国国旗の損壊について諸外国の刑法をみると、中華民国(台湾)では「1年以下の有期徒刑、拘役(くえき)または300元以下の罰金」(118条)、ドイツでは「2年以下の懲役または罰金」(104条1項)、スイスでは「軽懲役または罰金」(298条)、チェコでは「14日以上6月以下の禁錮または罰金」(145条1項)などとなっており、公的使用を原則とする旨の字句が添えられているものが多い。
 台湾を除くこの3国はいずれも「その国の公用に供する国旗(スイス)」などと、公的な使用を原則とする字句が入っている。自国旗の損壊についてはアメリカはもとより、多くの国の刑法や国旗法でこれを厳しく戒めている。
 中国でも1990年に国旗法ができ、国旗や国章を侮辱した者に対し、軽度の場合は15日以下の拘留、重い場合は3年以下の懲役または政治的権利の剥奪(はくだつ)などの規定が設けられ、また春節(旧正月)などには国旗掲揚の義務が課せられることになった。[吹浦忠正]

国旗をめぐるトラブル

「日の丸」は英語では「rising sun flag」だが、第二次世界大戦後、日本に進駐したアメリカ兵らはときには侮蔑的に「meat ball」とよび、これを焼いたり踏みにじったりというトラブルもあった。1959年には電車内で酔ったアメリカ兵が自分で買った日の丸を荷棚から吊るし焼却するという事件があった。乗り物の中での粗暴な行為として、軽犯罪法第1条5項違反で送検されたが、結局は米軍側の処罰を期待しての不起訴処分となった。「日の丸」にまつわるトラブルはとくに、返還(1972)以前の沖縄で続いた。1964年9月の東京オリンピックの聖火到着の日にコザ市(現、沖縄市)内で起こった「日の丸引き破り事件」、翌1965年1月、宜野湾(ぎのわん)市での「持ち逃げ事件」などで、約30枚の国旗が被害を受けた。
 日本は外国旗のことで戦後、大きなミスを少なくとも2回経験している。どちらも1958年(昭和33)のこと。一つは、東京で開かれたアジア競技大会で係員の不注意から中国(中華民国)の「青天白日旗」が逆さまに揚げられた事件。表彰式はただちにやり直しされ、組織委事務総長と式典委員長が謝罪文を持って中華民国の選手団長を訪ね陳謝したが、6年後の1964年に宿願のオリンピックを東京で、と官民一丸となって取り組んでいた日本にとってこの「青天白日旗逆掲揚事件」はショックなできごとであった。
 もう一つは、5月2日、長崎の日中友好協会主催のイベント会場で、中華人民共和国の「五星紅旗」を暴漢が引き降ろした「長崎国旗事件」である。事件を扱った長崎簡易裁判所は同年12月3日、「軽犯罪法1条31号ならびに33号違反」として、500円の科料に処した。当時の日本は中華民国を中国として承認していたので、「五星紅旗」を外国旗とみなすわけにはいかず、刑法92条の適用はできなかったのである。国会で、時の岸信介(のぶすけ)首相は「承認していない国からの請求ということはありえないから、92条の適用ということはない」と述べ、「五星紅旗」が日本にとっては国旗とみなしえないものであると言明した。この事件のため貿易協定は破棄され、日中貿易は中断した。
 国旗はときに人を感動させるが、また、ときにはせっかくの大会にトラブルを持ち込み、貿易をストップさせることにもなる。札幌のスケートの国際試合で韓国と北朝鮮の国旗を間違えたとか、大阪の「花博」の公式ガイドブックでオーストリアとタイの国旗を間違えていた(ワシや象のついた紋章入りの公式旗を掲載した)ため10万部を回収したとか、文部省(現、文部科学省)所轄の国立競技場でイギリス国旗が逆に揚がったとか、エリザベス女王を迎えるとき、国会正門のイギリス国旗が逆さまだったとか、有名ホテルが国旗を逆掲揚してVIPを迎えたために平身低頭したなど、枚挙にいとまないほど数多くトラブルはあった。
 デザイン上の問題もあった。「かかりつけのお医者さん同様、身近に薬の面倒をみることを目ざして」1990年度(平成2)から始まった「基準(家庭)薬局」の表示マークが「わが国の国旗に酷似している。国旗の国際的な保護を決めたパリ条約に触れるので取りやめてほしい」と駐日スイス大使館からクレームがつき、これを決めた日本薬剤師会が急拠、改善策をとった。「安全第一」の緑十字のマークも赤十字標章の保護を決めたジュネーブ条約からみると、疑問なしとはいえない。
 1980年に世界血液事業会議が東京、芝の日本赤十字社本社講堂で開かれたとき、イランの国旗としてパーレビ国王の時代のものを用意し、日赤が抗議を受けたことがある。イラン国旗については、当時の郵政省簡易保険局(現、かんぽ生命保険)などが主催する朝のラジオ体操で全国の小学生に配られている「出席カード」2300万枚のうち、50万枚にホメイニ師らによる革命(1979)以前の国旗のデザインを印刷し、同局の幹部が東京、三田のイラン大使館に謝罪にいくとともに全国の郵便局の窓口にシールを配って、各自に貼(は)り換えてもらうことにした。
 国旗が国と国を近づけ、国民同士の相互理解と友好親善に果たす役割は計り知れないものがあるが、これを間違って掲揚したり、前の政権の時代のもので、すでにデザインが変わっていたのにそれとは知らずに掲揚したりとなると、悪意はないとしても大小のトラブルになるのはやむをえないことである。1964年のパナマ国旗事件は運河管理権をめぐるパナマとアメリカとの激しい対立の導火線となったし、およそ100年前、アロー号でのイギリス国旗の引き降ろしはイギリスと清(しん)国の戦争に発展した。こうした国旗をめぐって国どうしのトラブルに発展したケースでも国旗そのものに罪があるのではなく、その主因となるべき深刻な国益上の対立があるのはもちろんである。それが国旗事件でたまたま火を吹いたということであるが、国旗は取扱いを誤るととんだ誤解や対立のもととなることもありうるということは念頭に置きたいものだ。ただ、だからといって「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」というようなことがあってはならない。
 国旗は人々の努力と栄光をたたえ、感動のドラマを盛り上げ、その国への理解と関心の端緒ともなりえる。そしてなによりも、国旗を尊重することはその国を尊重することになるのだ。また、その国の地理、歴史、政治、経済、産業、宗教、文化、国際関係、動植物などを知れば知るほどいっそう、その国旗を深く理解できるし、そのまた逆もいえるのではないだろうか。[吹浦忠正]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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世界大百科事典内の国旗の言及

【日の丸】より

…その後,59年正月に幕府は御国総印の形式と掲揚法を改めて日の丸の旗を艫綱(ともづな)に揚げさせ,帆印を廃止して,幕府軍艦は中帆柱に揚げた中黒の細旗,藩船は適当な船印によって所属を示すことにした。 明治政府も幕府の政策を継承し,70年(明治3)正月に公布した商船規則で日本の商船には日の丸の国旗の掲揚を義務づけ,さらに10月には海軍で用いる国旗(軍艦旗)を日の丸と定めた(商船と海軍では国旗の寸法が異なる)。72年11月,改暦の祝賀の際の旗幟の掲揚について伺いを立てた東京府に対して太政官は〈日章国旗の雛形〉の掲揚を許しているが,日の丸が国民の間に広く普及するのは,大日本帝国憲法発布の前後とも日清戦争・日露戦争のころともいわれている。…

※「国旗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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