日本大百科全書(ニッポニカ) 「カタラウヌムの戦い」の意味・わかりやすい解説
カタラウヌムの戦い
かたらうぬむのたたかい
フン人の王アッティラとローマの将軍アエティウスとの戦い。カタラウヌムCatalaunumはフランスのシャンパーニュ地方の都市シャロン・アン・シャンパーニュの古名で、この町と現在のトロア市との中間の平野(カタラウヌムの野)で戦闘が行われた。シャロンの戦いともよばれる。451年、アッティラはガリアに侵入し、オルレアンを包囲したが、アエティウスと西ゴート王テオドリックが救援に向かったので、囲いを解き、トロアに退き、トロア司教ルプスの要請をいれて、郊外のカタラウヌムの野に陣営を張った。アエティウスは配下のローマ軍のほか、テオドリックの率いる西ゴート軍、さらにローマと同盟関係にあったフランク軍、ブルグント軍とともにこれを攻撃し、アッティラを敗走させた。この戦いでテオドリックは戦死し、ローマの歴史家ヨルダネスが、「沃野(よくや)が諸民族の脱穀場と化した」と形容したほどの激戦で、後世さまざまな伝説の素材となった。
[平城照介]