改訂新版 世界大百科事典 「カッターネオ」の意味・わかりやすい解説
カッターネオ
Carlo Cattaneo
生没年:1801-69
イタリアの歴史家,経済学者,政治活動家。ミラノ生れ。1839-44年科学・文化に関する雑誌《ポリテクニコ》を主宰。48年3月〈ミラノの五日間〉と呼ばれる有名な反オーストリア蜂起では,〈戦争協議会〉の代表者として指導的役割を果たした。しかしオーストリアに対する軍事的勝利が確定し,臨時政府が樹立されると,サルデーニャ王国の介入に反対する彼の立場は少数派に転じた。その後オーストリア軍が再びミラノを奪還すると,パリに逃れ,のちルガノに移った。以後そこを拠点として民主主義者・連邦主義者としての活動を続ける。国家統一後下院議員となるが,国王への忠誠を誓うことを拒否して登院しなかった。彼の著作は歴史・経済・政治・哲学など広範囲にわたる。主著としては《ロンバルディアの自然的・人文的記述》(1844)や《1848年ミラノ蜂起》(1848)などが挙げられる。
執筆者:堺 憲一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報