戦国末期よりみえる島で、伊王島に比定される。天正一三年(一五八五)の「リンスホーテン編大航路誌」に、女島から長崎への航路の目標を記すなかでイリヤ・ドス・カバロスIlha dos Cavallos(馬の島)とみえ、カベシュマ(樺島、現野母崎町)、カフリ(香焼島とされる、現香焼町)などとの位置関係を示しており、伊王島町に比定されている。一般に当島の北西の沖合を回航すべきであるが、夜間に野母崎に到着した場合は、樺島の末端と伊王島に連なる小さな島々との間の水深二〇尋で広く良好な海峡を航行することを勧めている。平戸および大村の湊に向かう航海では当島を目印に北上している。