キュアー(読み)きゅあー(その他表記)Cure

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キュアー」の意味・わかりやすい解説

キュアー
きゅあー
Cure

ポスト・パンクニュー・ウェーブ期のブリティッシュ・ロックを代表するグループの一つ。1970年代末から80年代初頭にかけて数多くデビューした、ポスト・パンクのロック・グループの、今日における数少ない生き残りとして、U2と双璧を成すグループである。

 1976年、ロンドン郊外のサセックス県クローリーで、当時アート・スクールの学生であったロバート・スミスRobert Smith(1959― 、ボーカルギター)、ローレンス・トルハーストLaurence Tolhurst(ドラムス)、マイケル・デンプシーMichael Dempsey(ベース)らが、パンク・ロックの影響を受け結成したグループ、イージー・キュアーがその前身である。イージー・キュアーはドイツのレーベルと契約するが、グループの方向性などをめぐり意見が対立、契約を解消されてしまう。彼ら3人はグループ名をキュアーと改め、78年、イギリスのインディー・レーベルから、カミュの『異邦人』に着想を得た曲「キリング・アン・アラブ」をリリースする。これが認められ、ポリドール傘下のマイナー・レーベル、フィクションの第一弾アーティストとして、キュアーはレコード契約を結ぶことになる。

 79年に入り、ファースト・アルバム『スリー・イマジナリー・ボーイズ』を発表。ポスト・パンク期の静謐なギター・サウンドが印象的なこの作品の後、デンプシーがグループを脱退。サイモン・ギャラップSimon Gallup(1960― 、ベース)とマシュー・ハートレーMatthieu Hartley(キーボード)が加入し、セカンド・アルバム『セブンティーン・セカンズ』(1980)をリリースする。このアルバムからのシングル「ア・フォレスト」は、彼らにとっての初めてのヒット曲となった。その後のツアーを終えるとハートレーは脱退し、再びグループは3人組に戻るが、81年にリリースしたサード・アルバム『フェイス』は彼らの個性を確立した作品になった。陰影に満ちたメロディとシンプルなビートサイケデリックなギターが織りなす彼らのサウンドは、パンク以後のブリティッシュ・ロックの方向を示すものとなった。

 次作『ポルノグラフィ』(1982)は全英トップ10にランク入りするヒットとなったが、ギャラップはリリース後バンドを脱退、グループは一時活動停止を余儀なくされる。残されたトルハーストとスミスは個別の活動を行う。スミスはスージー&ザ・バンシーズに参加、一時は正式メンバーにもなり、トルハーストは新人グループのプロデュースなどを行うことになる。

 83年秋にキュアーは活動を再開。ポール・トンプソンPorl Thompson(1957― 、ギター、キーボード)ら3名を加え5人編成となったグループは『ザ・トップ』(1984)をリリースする。充電期間がプラスに働いたことを物語る充実した作品となった本作は、キュアーの存在感をいっそう高めた。

 以後、メンバーの入れ替わりは続くが、スミスを中心にしたグループの活動は順調で、『ザ・ヘッド・オン・ザ・ドアー』(1985)、『キス・ミー キス・ミー キス・ミー』(1987)、『ウィッシュ』(1992)などヒット・アルバムを多数リリースしている。

[増田 聡]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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