クインシージョーンズ(読み)くいんしーじょーんず

現代外国人名録2016 「クインシージョーンズ」の解説

クインシー ジョーンズ
Quincy Jones

職業・肩書
作曲家,編曲家,オーケストラ・リーダー,プロデューサー

国籍
米国

生年月日
1933年3月14日

出生地
イリノイ州シカゴ

本名
Jones,Quincy Delight Jr.

学歴
シアトル大学,シュリンガー・ハウス(バークリー音楽院の前身)

受賞
バークリー音楽院名誉博士号,グラミー賞(6回),ジーン・ハーショルト友愛賞〔1994年〕,ケネディ・センター栄誉賞〔2001年〕,BBCジャズ生涯功績賞〔2006年〕,地球市民賞〔2012年〕

経歴
10歳の時、シアトルに移住。14歳でトランペットを始める。1952年ライオネル・ハンプトンのビック・バンドに入り、アレンジャー、音楽監督として活躍。’56年ガレスピー・オーケストラの音楽監督に。’62年マーキュリーの副社長に就任。’70年代ジャズとソウルをブレンドしたニュー・サウンドを創り、フュージョン・ジャズへの道を開いた。’60年代から映画音楽も作曲しプロデューサーとしても活躍。手がけた作品に「愛のコリーダ」(’81年)、マイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「BAD」、映画「カラーパープル」などがある。’89年久々にアルバム「バック・オン・ザ・ブロック」を発表、同年宣伝のため来日。’95年11月総括アルバム「Q’s ジョーク・ジョイント」、’99年プロデューサーとしての集大成となるベスト・セレクション・アルバム「フロム・Q・ウィズ・ラヴ」を発表。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「クインシージョーンズ」の解説

クインシー ジョーンズ
Quincy Jones


1933.3.14 -
米国のジャズ編曲者,指揮者
イリノイ州シカゴ生まれ。
1952年ライオネル・ハンプトン楽団のトランペット奏者としてジャズ界に入り、翌’53年フリーの編曲者として活躍。’64年マーキュリー・レコード会社副社長兼プロデューサー、指揮者。また、映画「冷血」、「夜の大走査線」(ともに’67年)などの音楽も手がけ、’70年代にはジャズ、ロックの融合を意図した自己のバンドを結成し、ジャズ・フュージョンの草分けとなった。最近はプロデューサーとしてマイケル・ジャクソンなどを育てた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「クインシージョーンズ」の解説

クインシー ジョーンズ

生年月日:1933年3月14日
アメリカの作曲家;編曲家;オーケストラ・リーダー;プロデューサー

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のクインシージョーンズの言及

【ジャズ】より

…サックス)らは相次いで電気楽器と複合リズムを取り入れたグループ活動を開始した。またマイルス・グループの外側にあって,これに触発された優れた音楽家クインシー・ジョーンズQuincy D.Jones(1933‐ )は,リズムを中核とした演奏に新しい方向を見いだし,のち〈ブラック・コンテンポラリーblack contemporary music〉と呼ばれる黒人色の強いポピュラー音楽を開拓した。一括してフュージョンと呼ばれたこれらの新しい〈ジャズ〉は,黒人のリズム感覚を大幅に取り入れ,8ビート,16ビートといったリズムを中心に,電気楽器とアコースティック(非電化)楽器のブレンドによって,ひろくアピールしたが,よほどの新機軸がない限りマンネリ化は避けられない。…

※「クインシージョーンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android