改訂新版 世界大百科事典 「クマーリラ」の意味・わかりやすい解説
クマーリラ
Kumārila
生没年:650-700ころ
インドの思想家でミーマーンサー学派の学匠。学派の根本経典でジャイミニ作と伝えられる《ミーマーンサー・スートラMīmāṃsā sūtra》にシャバラスバーミンが注釈をほどこした《シャバラ・バーシャ》をさらに評釈し,《シュローカ・バールッティカ》《タントラ・バールッティカ》《トゥプティーカー》の3部より成る複注をあらわした。彼は,祭式主義の立場からの聖典解釈学を整備する一方,正統バラモン主義の立場から,ベーダ聖典を権威として認めない思想,とくに仏教を排撃することに努めた。ディグナーガ(陳那)以降の新鋭の仏教論理学に対抗するために,〈直接知〉や推理の定義などに新工夫をこらした。〈直接知〉を〈無分別知〉と〈有分別知〉に分類するしかたを仏教論理学から借用し,無分別の直接知を〈直観〉(アーローチャナālocana)と名づけた。これらの考えかたはニヤーヤ学派にも多大の影響を及ぼしたと思われる。
彼の少し後輩にプラバーカラ(700年ころ)がいたが,さまざまな面で両者は異なった説を唱えた。たとえば,後者はバイシェーシカ学派と同じく〈内属〉を認めたが,前者は認めず,それを同一関係と解した。後者は原因を〈特定の〉結果の原因たらしめる力能(シャクティ)を独立の原理として立てたが,前者はそうしなかった。前者は不知を無の知識手段としたが,後者はそれを認めなかった。前者からはバーッタ派が,後者からはグル派が形成された。
執筆者:宮元 啓一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報