インドの仏教論理学者。サンスクリット名はディグナーガDignāga、域龍(いきりゅう)とも訳す。伝記は不詳だが、『大唐西域記(さいいきき)』などの中国文献によると、南インド(アーンドラ)の人で、孤山に住して論理学をつくろうとした。国王の尊敬厚く、小乗の悟りに満足しようとしたが、文殊(もんじゅ)(マンジュシュリー)の戒めによって唯識(ゆいしき)の論書『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』を学んでこれを広め、論理学を大成した。のちマガダ国に至って阿折羅(あせつら)Ācāraの建てた僧院に多く住した、という。一方、『プトンの仏教史』などのチベット史料によると、バラモンの家に生まれ、部派仏教(小乗)の犢子(とくし)部の師ナーガダッタによって出家したが、やがてバスバンドゥ(世親(せしん))のもとに行き、三乗を修め、とくに唯識説と論理学に精通した。人々のために『倶舎論(くしゃろん)』などの注釈を書き、また『観所縁々論(かんじょえんえんろん)』『因明正理門論(いんみょうしょうりもんろん)』(漢訳のみ現存)ほかを著したが、さらに体系的著作『集量論(じゅりょうろん)』をつくろうと決心し、文殊の加護を得てこれを完成した。また異説を唱える多くの論師を論破し、大乗の法を広めた、という。
チベットと中国との伝承には異なるところが多く、またチベット史料のバスバンドゥのもとで研究したという記述は事実を誤るもので、その学系である唯識学説を学んだことを誤り伝えたものである。ところで近年の研究により、彼の思想的立場はアサンガ(無著(むじゃく))やバスバンドゥのそれとはかなり異なり、認識論と論理学を飛躍的に発展させていることが明らかとなった。その認識論はバスバンドゥの『唯識二十論』の外界否定の理論をさらに進めたもので、認識の対象は外界に在存せず知識のなかにある対象の形象であるとし、そのうえにたって唯識説を解釈している。そのため彼の唯識説は「有相(うそう)(表象主義的)唯識」といわれる。また経量部(きょうりょうぶ)の学説を多く取り入れ、経量部と唯識派(瑜伽行(ゆがぎょう)派)との理論的隔たりを縮め経量瑜伽派とよばれる総合学派の端緒となった。
[瓜生津隆真 2016年12月12日]
『塚本善隆他編『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』(1970・角川書店)』
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…生没年不詳。漢訳名を陳那(ちんな)という。《因明正理門論》《集量論》の二大主著において,従来の諸派の説を批判して,唯識思想に立脚して仏教論理学を組織し,新因明(しんいんみよう)といわれる新論理学説を形成した。…
…インド論理学は2世紀に,非仏教的学派である正理学派(ニヤーヤ学派)の手によって成立し,仏教徒もこの論理学を受け入れた。しかし5~6世紀になって仏教徒の論理学者ディグナーガ(陳那)がそれまでの論理学(古因明)に大改良を施し新因明を完成した。そしてその結果,インド論理学は,アリストテレス論理学とくらべてさほど見劣りのしないりっぱなものとなった。…
※「陳那」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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