クロンシタットの反乱(読み)クロンシタットのはんらん

改訂新版 世界大百科事典 「クロンシタットの反乱」の意味・わかりやすい解説

クロンシタットの反乱 (クロンシタットのはんらん)

1921年春,ソビエト海軍バルティック艦隊の基地クロンシタットで起こった水兵たちの反政府反乱。反乱の背景には,1920年末に内戦が基本的に終了したにもかかわらず,戦時体制を続けたソビエト政府に対する農民,労働者の不満がある。発端は,21年2月28日,食糧・燃料危機の打開を求めるペトログラード工場労働者のストライキの中で,クロンシタットの水兵たちが,〈ペトロパブロフスク号〉上で乗組員集会を開き,15項目よりなる決議を採択したことによる。後に反乱の綱領と呼ばれ,大きな影響を及ぼすことになったその主張は,ソビエトが労働者と農民の意思を反映していないとして,ソビエトの秘密再選挙,労働者・農民に対する言論・出版・集会の自由,社会主義諸政党に属する政治犯の釈放といった政治的要求から,賃労働を使用しない農業や家内工業の自由などの経済的要求にまで及んだ。3月1日のクロンシタット・ソビエトの大会は,共産党幹部を逮捕し,臨時革命委員会を設置した。他方,ソビエト政府は,この反乱を白衛軍の将軍に率いられた反革命反乱とみなし,3月7日,17日の2度にわたり攻撃し,18日に反乱を鎮圧した。これに対して,反乱側は共産党員のいないソビエトの樹立や第三革命をスローガンにかかげた。十月革命栄光をになうクロンシタット水兵の反乱の影響は衝撃的であった。当時開催中の第10回共産党大会は,農民への譲歩としてネップ新経済政策)への転換を決定し,あわせて党内引きしめのため党内分派を禁止した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クロンシタットの反乱」の意味・わかりやすい解説

クロンシタットの反乱
クロンシタットのはんらん
Kronshtadt Rebellion

1921年3月に発生したソビエト政権に対する反乱。ペトログラード沖合いの要塞島クロンシタットの水兵や労働者はロシア革命においてめざましい役割を果したが,革命後も左派エスエルやアナーキストの影響下にあった同島のソビエトは,ボルシェビキ政権の独裁的権力行使に反発した。他方,内戦のため国土は疲弊し,労働者の生活は破綻,ペトログラードでストが広がった。3月1日クロンシタット・ソビエトはペトログラードのストを支援し,秘密選挙,言論・出版の自由,党政治局の廃止,労働者の一律賃金などを要求する決議を行なった。ボルシェビキ政権はそれを白色反革命とみなし,M.トハチェフスキー指揮下の赤軍を送り込み,水兵たちとの激しい戦闘ののち,18日には反乱を鎮圧した。

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