グスタフ・クリムト(読み)ぐすたふ・くりむと(その他表記)Gustav Klimt

知恵蔵mini 「グスタフ・クリムト」の解説

グスタフ・クリムト

オーストリア画家。1862年7月14日、ウィーン郊外のバウムガルテンで生まれた。76年、14歳の時にウィーン美術工芸学校に入学した。その後、弟のエルンストや友人とデザインの仕事をはじめ、83年に彼らと共同でウィーン芸術家商会を設立した。劇場装飾をはじめとする仕事は好評を博し、多くの装飾を手がけた。中でも86年から手がけたブルク劇場の装飾は評価され、金功労十字賞を授与された。94年、ウィーン大学大講堂天井画の制作を要請され、「哲学」「医学」「法学」の3部構成からなる天井画を担当。だが、性的描写などが論争を引き起こし、のちに契約を破棄、報酬を返却する事態へと発展した。97年には芸術革新を掲げる芸術家グループであるウィーン分離派の初代会長に就任したのち、オーストリア芸術家連盟を結成した。07年、代表作「接吻」を発表。18年、55歳で死去した。

(2019-4-25)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

20世紀西洋人名事典 「グスタフ・クリムト」の解説

グスタフ クリムト
Gustav Klimt


1862.7.14 - 1918.2.6
オーストリアの画家。
バウムガルテン(オーストリア)生まれ。
ヴィーン工業学校で学び、1883年弟エルンストと「ウィーン工房」を開く。当初歴史主義の影響を受け、装飾的な物を手掛け、壁画や天井画を描く。1890年ウィーン美術家協会に加入するが、1892年弟が亡くなり、制作を中断するが、1898年新しい様式を取り入れ活動を再開し、アール・ヌーボーの中心的存在となる。1904年ヴィーン分離派を脱退線描輪郭と平面的色彩による人物を装飾的画面に配し、独自の蠱惑的様式を作り上げた。代表作として「ユーデイトⅠ」(’01年)、「女の三世代」(’05年)、「接吻」(’07〜08年)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「グスタフ・クリムト」の解説

グスタフ クリムト

生年月日:1862年7月14日
オーストラリアの画家
1918年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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