多義的でさまざまに変容する概念であるから一義的に定義することはむずかしい。「歴史主義」という用語は19世紀末につくられ、トレルチとマイネッケがその意味を高め、いまでは広く、しかしいろいろな意味で、人文科学、社会科学の間に使われている。その論拠は、根本に、あらゆる真理や価値は不変ではなく歴史的に生成したもの、という哲学をもっている。それは、不変の真理、価値を説く古典的な形而上学、神学、自然法理論に対する懐疑または反論である。その発想は明らかに近代思想のものといえる。
マイネッケは歴史主義を西欧の思想が体験した最大の精神革命の一つだといい、トレルチは自然主義と並ぶ近代の偉大な学問的二方法だという。しかし理論としてはいくつものジレンマをもっている。歴史主義は相対主義か懐疑論に陥るほかない。また永遠なものへの志向を捨ててただ事実のために事実をみるという鑑賞主義でもある。ホイシはこの「相対主義、懐疑主義、鑑賞主義」の三つを歴史主義の主要内容としている。その方法は、人間的・社会的事象を理解するのにあらゆる理論、規範の導入を拒み、統一的解釈を退けて、ただ一つ事実的・歴史的方法があるだけだという。マイネッケはそれを個体の自発性と発展としているが、規則性や類型性を認めないのだから、発展の観念はあいまいである。ドイツの歴史主義は個体主義に終始している。そのために個体主義の陥る相対主義をどう克服するかという理論的難問を抱えている。結局、歴史主義は近代思想史のうえで合理主義と自然主義のはざまで双方に反対しながら自己形成してゆく一つの思想にほかならない。その形態は個々の歴史的契機においてみるしかない。
[神山四郎]
最初は、18世紀啓蒙(けいもう)思想の合理主義に対する反論としてドイツ・ロマン派の主要理念に表れている。ヘルダーは啓蒙の進歩主義に対して各時代・各地域の特異性を強調し、その知的批判主義に対して情的同感主義を唱え、その世界市民主義に対して民族主義を主張した。これは歴史主義の発足といえる。19世紀にヘーゲルの歴史哲学の汎(はん)精神主義に対して歴史家ランケが個別的事実主義を対置したこと、法学の分野で伝統的な自然法・万民法に対するサビニーの歴史法学、また経済学では古典派経済学に対するシュモーラーの国民経済学の立場など、それぞれ論点は歴史主義的である。19世紀末に自然主義者の唱える自然科学万能に対して新カント派が主張した個別記述的方法、ディルタイの精神科学、感情移入による個体認識(理解)の方法も歴史主義的といえる。しかしイギリスでは、戦後、分析哲学者のポパーが「ヒストリシズム」を、科学理論としては貧困な歴史の決定論、不合理な進化を説く賭(かけ)的な社会哲学をさすものとした。これはドイツの歴史主義がすでに否定しているのだから、それを同じことばでよぶのはどうか。しかしアントーニも唯物史観を歴史主義だという。イタリアのクローチェは、ドイツ的な歴史主義の相対主義を克服するものを「絶対的歴史主義」というなど、歴史主義の意味はますます多様である。
[神山四郎]
『K・ホイシ著、佐伯守訳『歴史主義の危機』(1974・イザラ書房)』▽『C・アントーニ著、新井慎一訳『歴史主義』(1971・創文社)』
歴史主義という語は非常に多義的に用いられ,一定の定義を与えることは困難であるが,共通している点は,人間生活のあらゆる現象はすべて個別具体的な歴史的時空において発生し継続し消滅するものであるから,物理的時間・空間概念とは別の歴史的流れのなかにおいてその生成と発展とをとらえなければならない,という主張である。
自然的宇宙はすべて一様であって画一的な法則によって支配されているものであるから,自然の一部である人間や社会もこのような見地から説明されなければならないという考え方に立った〈自然主義naturalism〉に対して,人間と文化と社会とは能動的で主体的なものであるから単なる自然現象とはみなすことはできず,具体的な歴史的場面と関連させて人間的出来事の価値と意味を解明しなければならないとする〈歴史主義〉は遠く古代ギリシアの時代からあったが,今日において歴史主義と呼ばれている考えと立場は19世紀に生まれた。フランス革命を準備した啓蒙的合理主義思想は,自然も人間も社会も合理的なものであって道理に合わぬものはあってはならず,不合理な旧体制を破壊して合理的につくり変えることができる体制を生みだすべきであると説いた。フランス革命の混乱と挫折とを体験した西欧では,この機械論的合理主義に対する反動としてロマン主義が登場し,人間的世界は合理的に割り切れるものでなく生命の躍動のうちに生成・発展する連続的過程であるから,これを有機的全体として歴史のなかでとらえなければならないと主張した。この立場を学問的に主張したのはE.トレルチとF.マイネッケである。トレルチはそれぞれの時代と文化はそれぞれの価値をもつものであるから,古代や中世の状態を近代の価値尺度ではかってはならず,全体を展望して〈現代的文化総合〉と〈未来への価値形成〉をはかるものとして歴史主義を説いた。マイネッケは歴史主義を単に科学的研究法上の立場でなく〈新たな生活原理〉であって〈西欧思想が体験した最大の精神革命の一つにほかならない〉と主張し,個体性と発展という二つの基本概念を用いて,個体は発展のうちに現れ,発展は個体の主体的自発性にもとづいた独自のものであると説いた。したがって,コントやスペンサーのような単一的歴史発展論やマルクス的唯物史観のような歴史を貫く法則や類型の探求とは相反し,それぞれの時代と文化とはそれなりの価値をもちどれも絶対的とはいえないという相対主義に陥ることになり,これが歴史主義の危機を招いた。K.R.ポッパーは歴史主義と歴史法則主義とを含めて〈ヒストリシズムhistoricism〉と呼び,この両者がいずれも論理的に成り立たないことを論証した《歴史主義の貧困》(1957)を書いて徹底的批判を試みたが,これに対する反批判もさまざまであり,歴史主義の問題は今日なお未解決である。
執筆者:森 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
歴史の事象を一回限りの個性的なものの発展とみる見方。歴史のなかに自然科学的な法則を見出そうとする立場と対立して,19世紀以来,特にドイツの歴史家や歴史哲学者によって主張され擁護された。「歴史主義」は元来,現在を離れて歴史を観照するような態度に対する非難の言葉であったが,トレルチやマイネッケがこれを積極的に意味づけ直したものである。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…しかし20世紀の演奏家は,同時代の作曲家の作品よりも,過去の作曲家の作品を積極的にとりあげるようになった。こうした演奏の世界における〈歴史主義〉の早い例は,メンデルスゾーンがバッハやヘンデルを演奏した19世紀中葉にも見られるが,20世紀に入ってから一般的な傾向として定着した。 20世紀初頭の〈新音楽〉や〈新即物主義〉の音楽運動は,演奏界における〈歴史主義〉に新しい方向から光をあて,〈楽譜に忠実な演奏〉〈作品に忠実な演奏〉〈歴史的に忠実な演奏〉というスローガンが叫ばれるようになった。…
…その意味で,同じ思考基盤に立つ法学,政治学,言語学などにも歴史学派の名称を冠する場合がある。
[思想的背景]
歴史学派の思考方法を特徴づけ,この学派の血となり肉となっているのがロマン主義であり,またそれを一つの世界観に昇華させた歴史主義である。ロマン主義は啓蒙主義に対する対抗運動として,みずからの立場を徐々に明確にしていき,フランス革命を契機にしてその政治的立場をあらわにしていったもので,反理性が思想的中核をなしている。…
※「歴史主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加