グデア(その他表記)Gudea

改訂新版 世界大百科事典 「グデア」の意味・わかりやすい解説

グデア
Gudea

古代シュメール都市ラガシュ支配者(前2143ころ-前2124ころ)。グティ人のバビロニア支配時代の後半,すでにある程度独立を回復していた義父ウルバウ(ウルババ)のあとを継いでラガシュの支配者(エンシ)となり,この都市の繁栄と強勢をもたらした。グデアはその碑文をラガシュ複合都市国家の地域をこえて,ウル,ウルク,ニップールなどに遺し,またエラムに軍事遠征も行っており,シュメール全土に相当な勢力を張って,シュメール民族復興の先駆けとなった。彼はアッカド美術の影響をうけた新しいシュメール美術の完成を示す自分の彫像や,それらおよび角柱シリンダー)に刻まれた,シュメール文学の一頂点を示す碑文を多数残していて,ニンギルスの主神殿エニンヌの復興など諸神殿の造営運河開削,商業の発展への寄与などを行ったことで知られる。神殿建築材料を供した地域の名は,アッカド帝国によって開かれた地理的範囲を反映している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グデア」の意味・わかりやすい解説

グデア
Gudea

[生]前2144頃
[没]前2124頃
シュメールラガシュの支配者。ウル第3王朝のシュメールの王のもとでラガシュを統治。その黄金時代を築き,交易,文化,芸術を推進した。ラガシュの発掘で発見された約 30のグデアの彫像は当時の石彫代表作であり,そこに刻まれた碑文は古典的シュメール語とされている。多くはルーブル美術館蔵。

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世界大百科事典(旧版)内のグデアの言及

【シュメール】より

…しかしアッカドの統治下においてもシュメール都市は存続し,そこではシュメール語が日常語として使用されていた。
[統一王国――ウル第3王朝]
 アッカド王国(前2350ころ‐前2170ころ?)がグティ人の侵入によって衰えた頃,まずラガシュにシュメール人の独立都市王国が栄え始め,グデア(在位,前2143ころ‐前2124ころ)の時代にはアッカド帝国の広い交易圏を受け継いだ富裕な小領土国家が確立された。グデアにやや遅れてグティ人を山岳地帯に追い返し,シュメール人の支配を回復,〈四方世界の王〉を称したウルク王ウトゥヘガルの覇権は,その配下(子ないし弟との説もある)のウル軍事総督ウルナンムの継承するところとなり,ここに5代約1世紀に及ぶ,シュメール人によるシュメール,アッカドの統一王国ウル第3王朝(前2112‐前2004)が成立し,〈シュメール・ルネサンス〉が実現した。…

【シュメール美術】より

…神話伝説に題材を求めたと思われる説話風の場面や,神の前に立つ礼拝者像を表した場面など図柄が多様になり,登場する神,英雄,人物,動物の組合せは巧みで,描写はより自然主義的になっていった。 アッカド王朝がグティ人の圧迫により滅亡したころ,メソポタミア南部において唯一独立を維持していたシュメール人の都市国家ラガシュからは,グデアとその子ウルニンギルスUr‐Ningirsuを表した石彫像が数多く発見された。これらはすべて神に祈りをささげている姿勢をとる直立像または座像で,硬質の玄武岩の持つ質感を巧みに生かした量感あふれるものである。…

※「グデア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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