改訂新版 世界大百科事典 「ラガシュ」の意味・わかりやすい解説
ラガシュ
Lagash
メソポタミア最南部,古代シュメール地方の都市。前3千年紀中葉の初期王朝期Ⅲ期にはギルスGirsu(現遺跡名テルローTelloh),ラガシュ(現名ヒバal-Hiba),シララSirara(現名スルグルSurghul),グアバGuabba(現名不明)の主要4地区がラガシュ都市国家を構成していた。主王宮はギルスに存在し,ギルス,ラガシュ,シララは運河により連結し,グアバはこれらより数十km離れていたらしい。これらは,本来は独立した都市であったと思われる。前3千年紀末のウル第3王朝時代には,都市名としてはラガシュでなくギルスが用いられていた。主地区ギルスは1877年よりフランスのE.deサルゼックらが発掘,以後1903-09年にはG.クロ,21-31年にはH.deジュヌイヤック,31-33年にはA.パロが発掘・調査した。サルゼックの発掘直後からグデア王の彫像などが多数出土し,正式発掘以外に盗掘も繰り返された結果,無数の粘土板文書も発見された。68年からはアメリカ隊がラガシュ(ヒバ)の発掘を開始した。
初期王朝期Ⅲ期までのラガシュ=ギルスの政治的役割は不明である。Ⅲ期(前26世紀)にはウルナンシェ王朝が成立し,王朝の5名の支配者に続いて3名が統治し,多くの政治的碑文を残している。最後の3名の支配者の時代の行政・経済文書はシュメール都市に関する古典学説(神殿都市論)の基礎材料となった。ラガシュ都市国家は隣都市ウンマと抗争を続けたが,前24世紀中葉ウルカギナ王がウンマのルガルザゲシに敗北,ルガルザゲシはその後他都市をも軍事占領し,ここにシュメール都市国家時代が終わる。アッカド王朝期のラガシュ政治史は明らかでない。王朝末期にグティ人が南部バビロニアを支配するが,ラガシュにはウルバウが現れて独立王朝を樹立し,とりわけウルバウの子グデア時代に大きく繁栄した。前21世紀のウル第3王朝時代にはギルス都市と呼ばれた。ギルスは王朝下で最も豊かな都市であったと思われるが,イシン・ラルサ時代にしだいに衰微した。数万枚にのぼる精緻な行政・経済文書が出土しており,シュメール社会研究上,最も重要な史料となっている。
執筆者:前川 和也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報