ケーニヒグレーツの戦い(読み)けーにひぐれーつのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケーニヒグレーツの戦い」の意味・わかりやすい解説

ケーニヒグレーツの戦い
けーにひぐれーつのたたかい

1866年、プロイセンオーストリア戦争においてプロイセン側の決定的勝利を導いた戦闘。同年7月3日、ボヘミアの都市ケーニヒグレーツKöniggrätz(チェコ名フラデツ・クラロベ)の近郊クルームとサドワ間で戦われた。ベネデック麾下(きか)のオーストリア北軍とこれを支援するザクセン軍21万5000に対し、モルトケ指揮下のプロイセン軍22万が攻撃してこれを破り、オーストリア軍はウィーンに退却した。ビスマルクフランスの攻撃を危惧(きぐ)してウィーン攻略を控え、ナポレオン3世提案の休戦に同意、7月26日ニコルスブルクの仮平和条約をオーストリアと締結した。イギリス、フランスではこの戦闘をサドワの戦いとよぶ。

末川 清]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケーニヒグレーツの戦い」の意味・わかりやすい解説

ケーニヒグレーツの戦い
ケーニヒグレーツのたたかい
Battle of Königgrätz

プロシア=オーストリア戦争の際の戦闘で,チェコのフラデックラーロベーで行われた。 1866年7月3日,大モルトケ指揮下のプロシア軍が,オーストリア,ザクセンの連合軍を壊滅させ,プロシアの対オーストリア戦の勝利を決定的なものにした。イギリス,フランスではサドワの戦いと呼ぶ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ケーニヒグレーツの戦い」の解説

ケーニヒグレーツの戦い(ケーニヒグレーツのたたかい)
Königgrätz

プロイセン‐オーストリア戦争に際して,ボヘミアに侵入したプロイセン軍の主力が,1866年7月3日にオーストリア軍の主力を破って,大勢を決した戦い。イギリス,フランスではサドヴァ(Sadowa[英],Sadová[チェコ])の戦いという。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ケーニヒグレーツの戦い」の解説

ケーニヒグレーツの戦い
ケーニヒグレーツのたたかい

サドヴァの戦い

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android