コミューン運動(読み)コミューンうんどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コミューン運動」の意味・わかりやすい解説

コミューン運動
コミューンうんどう

共通の思想・文化をもつ自主管理的な生活共同体コミューン」を創設する運動。理想社会の追求と,相互扶助のための団結を特徴とする。1960年代以降,産業化社会から脱落,離脱したヒッピーや,先進諸国の学生運動にかかわった人々が担い手となった。日本では,1905年に西田天香が京都府京都市山科に創設した一燈園,1918年に作家の武者小路実篤が宮崎県木城村に開いた新しき村,1922年に作家の有島武郎が北海道ニセコ町に所有していた農場を開放して設立した狩太共生農園,1953年に山岸巳代蔵がつくった山岸会などが知られる。1970年代前後には,ヒッピーの理論的指導者の一人で詩人の山尾三省がつくった「部族」,有畜複合農業に取り組む弥栄之郷(やさかのさと)共同体など,全学共闘会議(全共闘)世代がコミューン運動を展開した。体制打倒を目指すのではなく,新しいライフスタイルやカウンターカルチャー counterculture(→サブカルチャー)を創造し,自立した生活共同体を目指した。

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世界大百科事典(旧版)内のコミューン運動の言及

【コミューン都市】より

… 1070年にル・マン市で最初のコミューンが結成された後,その運動は北フランス一帯に広がり,フィリップ2世の治世(1180‐1223)に頂点に達した。コミューン運動の目的は“平和”の獲得であった。この“平和”とは,領主層による暴力・略奪,恣意(しい)的な苛斂誅求(かれんちゆうきゆう),さらには住民間の暴力的対立・復讐等という混乱と暴力が支配した封建社会の中で弱者である住民の保護・安全の確保を意味した。…

【都市】より

…このような市民全体の結合を当時のことばで誓約団(コンユラティオconjuratio)というが,その結果,皇帝や国王あるいは封建諸侯は,やむなく市民の団体に一括した自治を認めざるをえなくなった。この動きを総称して,コミューン運動と呼ぶ。 このように中世都市は,その成立の経緯において,また生産者市民を打って一丸とした共同体である点において,古典古代やアジアの都市と根本的に違った性格をもっていた。…

※「コミューン運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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