1918年(大正7)11月、宮崎県児湯(こゆ)郡木城(きじょう)村(現、木城町)に武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らの推進により創設された理想主義的な集団。内心の要求に忠実に、互いに自己を生かすべく武者小路の呼びかけに全国より多くの青年が参加した。『赤い鳥』とともに大正期(1912~1926)の思想、文化の有力な反映といえる。日向(ひゅうが)に土地を決めるより前に、武者小路は機関誌『新しき村』を創刊、『白樺(しらかば)』に注入した同じエネルギーをここで発揮した。この運動に対して『白樺』内部からは有島武郎(たけお)の理解を込めた批判、当時の社会主義者たちからはその桃源郷的な発想に対する根本的批判などもあったが、武者小路はあくまでも向日的姿勢を堅持した。ここで彼は『幸福者』『友情』『第三の隠者の運命』『人間万歳』などの代表作を書く。村の発展には幾多の困難も伴い、武者小路は大正末に離村、しかし杉山正雄(1903―1983)らの力で継続された。杉山は、武者小路家の養子となり武者小路姓を名のる。
また昭和に入って1939年(昭和14)埼玉県入間(いるま)郡毛呂山(もろやま)に「東の村」を開設、第二次世界大戦後は渡辺貫二(1911―2005)らが努力、完全に自活できる体制をつくりあげている。1948年「東の村」は「財団法人新しき村」となり、水田や果樹園に加え養鶏が始まった。村内生活者は50名を超え、1980年には、武者小路実篤の書画、書簡、著書等を収めた「武者小路実篤記念 新しき村美術館」が開館した。その後、村内生活者の高齢化がすすみ、2013年時点で、村内生活者は13名となっている(村外会員は160名)。
[紅野敏郎 2017年1月19日]
『永見七郎編『新しき村五十年』(1968・財団法人新しき村)』▽『武者小路実篤著『新しき村の生活』(1969・近代文学館)』▽『阿万鯱人著『一人でもやっぱり村である――杉山正雄と日向新しき村』(1985・鉱脈社)』▽『渡辺貫二著『年表形式による新しき村の七十年 自1981年~至1988年』(1990・財団法人新しき村)』▽『武者小路実篤著、渡辺貫二編『新しき村の誕生と生長』(1992・財団法人新しき村)』▽『渡辺貫二著『新しき村に生きる――自他共生を求めて四十五年』(1993・財団法人新しき村)』▽『武者小路実篤著、渡辺貫二編『人間らしく生きるために』(1994・財団法人新しき村)』▽『大津山国夫著『武者小路実篤研究――実篤と新しき村』(1997・明治書院)』▽『奥脇賢三著『検証「新しき村」――武者小路実篤の理想主義』(1998・農山漁村文化協会)』
白樺派の文学者武者小路実篤が提唱した生活共同体の村。1918年宮崎県児湯郡木城村に建設したが,その後,ダム工事で農地の大半が水没することになったため,39年埼玉県入間郡毛呂山町に〈東の村〉を建設した。〈新しき村〉の精神は,自他を犠牲にすることなく自己を生かすことにあり,村民は,みずからの労働によってみずからの生活を支えたうえで,自由を楽しみ,個性を生かせる生活を全うすることをめざした。ロシア革命の成功による社会主義思想の普及,国内の政治的経済的混乱,大正デモクラシーの運動など多様な社会的要因に,実篤のトルストイズムが結合した白樺派人格主義の実践は,とくに青年層に大きな反響を呼び起こした。創設当初〈村〉に住みついたのは実篤夫妻,木村荘太ら20名であったが,83年現在,日向の村に4名,埼玉の村に57名在住している。48年財団法人の認可を得,埼玉では養鶏に主力を注ぎ,幼稚園,陶磁窯,印刷所などを設けている。1918年7月創刊の機関誌《新しき村》(一時《この道》と改題)は現在,埼玉の村で発行している。
執筆者:今 防人
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武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)が試みた理想主義の実践運動。1918年(大正7)機関誌「新しき村」を創刊した実篤は,同年,兄弟主義を掲げた共働共生の理想村「新しき村」を宮崎県児湯郡木城村(現,木城町)に開き,大正末期までみずから仕事と生活の根拠地とした。有島武郎の農場解放と並ぶ,「白樺」派の理想主義の実践の一つ。ダム建設によりほぼ水没のため,39年(昭和14)埼玉県入間郡毛呂山町に東の村を建設した。以後,曲折をへて現在に至る。
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…この近郊のアスコナもユングなどが集ったエラノス会議の開催地として知られる)などを代表とするヨーロッパでの共同体建設,ならびにタゴールやオーロビンドSri Aurobindo(1872‐1950)をはじめとするインドでのそれ,さらにまたアメリカ各地のユートピア建設へと結びついた。トランセンデンタリズムもそうした神秘主義運動の一形態と考えられるし,日本の白樺派の主導による〈新しき村〉運動なども,上記の全世界的な動向と無縁ではない。 神秘主義は現代に至って,哲学,心理学や宗教学,美学などとの関連で新しい意味をにないはじめた。…
※「新しき村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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