コミューン(その他表記)commune

翻訳|commune

デジタル大辞泉 「コミューン」の意味・読み・例文・類語

コミューン(〈フランス〉commune)

《「コンミューン」とも》
11~13世紀の中世ヨーロッパで、王や領主から特許状により一定の自治権を認められていた都市。
フランス地方行政上の最小単位。
パリコミューン」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「コミューン」の意味・読み・例文・類語

コミューン

  1. ( [フランス語] commune )[ 異表記 ] コンミューン
  2. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. フランスの最小行政単位。
    2. 一一~一二世紀、北フランスを中心に起こった領主権からの解放運動により成立した自治都市。絶対王政の成立とともに衰退。〔モダン用語辞典(1930)〕
  3. [ 2 ]パリ‐コミューン

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改訂新版 世界大百科事典 「コミューン」の意味・わかりやすい解説

コミューン
commune

フランス語ではコミューンは誓約団体の意味で,11~12世紀に成立した中世自治都市を指す史学上の概念である(〈コミューン都市〉の項目を参照されたい)。フランス,ベルギー,イタリア,スペインなどの最小行政区である市町村自治体をも意味している。またパリ・コミューンをふまえて,反権力・自治・友愛・平等に基づく組織という意味でも用いられる。さらに私有財産を否定し平等な労働を原理とする共産主義的な生活共同体の意味でも用いられ,この意味でのコミューンには大別して宗教的なもの,政治的なもの,心理的なものがある。

 宗教的コミューンはユダヤ教エッセネ派にまでさかのぼれるほど古く,また世界各地に見られる。欧米では原始キリスト教会をモデルとする宗教コミューンが,とりわけ16世紀以降各地で建設されている。現代のアメリカでは,1960年代からのリバイバリズムの嵐の中で原理主義的なキリスト教ヒンドゥー教など東洋的な宗教グループによるコミューンも輩出するにいたった。政治的コミューンは産業社会の登場によって生じた急激な社会変化と社会の階級的対立を,社会主義的原理によって変革しようとして考えられた。R.オーエンニューハーモニー,フーリエ主義者のファランクスE.カベのイカリアなどが現れた。現代の例ではイスラエルキブツが挙げられよう。1960年代から先進産業社会で,現代社会の孤独,疎外,管理化に対抗して,小規模で拡大家族にも似た心理的コミューンが登場してくる。主要な担い手はヒッピーであった。

 近代日本では,急激な産業化による矛盾が顕著になってきた明治末から大正期にかけて〈一灯園〉〈新しき村〉などの宗教的コミューンが,昭和期の疲弊する農村から〈心境部落〉や〈山岸会〉などの政治的コミューンが,また敗戦の混乱から生まれてくる〈大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)〉のような宗教的コミューンが,それぞれの代表例と考えられる。さらに70年前後から心理志向の〈部族〉やヒッピーのコミューンが各地で試みられるとともに,社会変革を明確に志向する〈弥栄之郷(やさかのさと)〉などが現れた。70年前後から登場する青年コミューンの多くが,学園闘争にかかわっていた人々によって担われたことは注目に値する。世界の主要な先進産業社会に吹き荒れたスチューデント・パワーの中からコミューン志向の青年が大量に出現したことは,コミューンの一側面として現代社会の主要な一次的集団としての家族や近隣社会のオルタナティブ(伝統的な制度,価値,思想に対して,選択可能な代案)としての意義を秘めていたことを示している。70年代に開花するウーマン・リブの集団的結集は,コミューンのこのインパクトを物語っている。73年のオイル・ショック以降,若者のコミューン熱にも水がかけられたようであるが,長期的視点に立つならば,現代家族の根本的な不安定性は,コミューンへの関心を増大させることはあっても,減退させることはないであろう。

コミューンのコラム・用語解説

【日本のおもなコミューン】
大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)
所在地奈良市大倭町。創設者矢追日聖(1911~ )は17歳で霊示を受け,敗戦の日に大倭教を立教開宣。一切の存在を神意によるものと考え,なんらの区別なく人々を受け入れてきた。障害者施設,大倭女宿苑(おおやまとあすかえん)を併設。
狩太共生農団(かりぶときようせいのうだん)
作家の有島武郎は父の武から相続した北海道虻田郡狩太村(現,ニセコ町)の有島農場(農地約450町歩)を,〈私有財産の否認〉の考えから1922年7月18日に農場小作人全員に無償譲渡した。ただし,再び資本家の手に渡るのを防止するために,産業組合とすることを条件とした。狩太共生農団は戦後の農地改革により1949年に解散した。
一灯園(いつとうえん)
所在地京都市山科区四ノ宮柳山町。創始者西田天香(市太郎)は1899年,36歳の時,〈許されて生きている〉ことを悟り,1905年に一灯園を創設した。現在数十家族が共同生活しており,生業は農業,印刷業,農事試験場などである。幼稚園から短大までの学校を備えている。また独自の演劇集団〈すわらじ劇園〉は全国を巡演。
心境部落(しんきようぶらく)
所在地奈良県宇陀郡榛原町(現,宇陀市)笠間。尾崎増太郎と4家族によって創設された。天理教布教師であった尾崎はわが子の眼病も治せぬ天理教に疑問をもち,他の4家族と棄教した結果,村八分にあい,必要に迫られて農業を中心として生活を共同化していった。心境同人50名と精薄者110名が共同生活をしており,生業としてふすま製造を行っていた。生活を享受する姿勢を正面から出しているのが特徴。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コミューン」の意味・わかりやすい解説

コミューン
こみゅーん
Communes フランス語

フランス中世の自治都市。11世紀末から12世紀にかけてフランスの北部、東部に展開されたコミューン運動によってできた都市をコミューン都市といい、中部、西部、南西部に広まったプレボprévô都市、南フランスのコンシュラconsulat都市とはタイプを異にする。

 コミューンとは、もともと市民相互間の扶助を誓い合った平和誓約社団を意味する。コミューン運動の主たる要因は、11~12世紀の「商業の復活」に伴う都市市民層の経済的興隆にあった。コミューンの成立には、国王あるいは領主によるコミューン授与の文書(シャルト)が必要であった。市民は支配権力からの解放を目ざして、市場税や通行税の廃止などいわゆる商品流通規制権や領主独占権の撤廃を主張したが、年代記作者ギベール・ド・ノジャンGuibert de Nogent(1053―1124ころ)が「コミューン! 新しい名前だ! 忌まわしい名前だ!」といったように、支配者の側からの抵抗が強く、運動がかなり暴力的な仕方で解決されたケースも少なくはなかった(ラン、ベズレー、ボーベなど)。しかし13世紀に入ると、コミューンの性格は変質を遂げた。国王による集権化の開始とともに、従来のような誓約に基づく市民の連帯性は失われ、コミューンはいわゆる自治都市として現実的な独立を達成した。都市自ら法を編纂(へんさん)し、鐘楼(しょうろう)をつくり、独自の軍隊をもち、裁判権を行使し、貨幣を鋳造し、公文書発行のための印璽(いんじ)を有していた。アブビル、オーセル、アミアン、サン・カンタン、ノアイヨン、ソアソン、ラン、アラスなどのコミューンがその例である。これらの都市は、市民総会から生まれた都市参事会が監督する市長によって市政が行われ、エシュバンとよばれる行政官を備えていたが、貴族や聖職者ばかりでなく、農奴、貧困者にも市民権を拒否したため、民主的な市政とはいえず、現実には市民寡頭政治を形成していた。コミューン運動は13世紀まで増加の一途をたどるが、14世紀以降衰退した。その原因は、内部においては市民権をもたない細民の階級的意識の覚醒(かくせい)によって、外部においては王権の伸張によってである。絶対王制の成立とともに、都市の裁判権は管轄の縮小を余儀なくされて都市警察権の機能をとどめるにすぎなくなり、1789年の革命によってコミューン体制は消滅した。

 なお、パリは、コミューン都市ではなく、王権の直接支配下にあるプレボ都市であったが、史上「パリ・コミューン」とよぶのは、一つはフランス革命期の1792年8月10日の事件(王権停止)からテルミドール9日(1794年7月27日)までパリに成立した革命権力をいい、他者は、1871年3月18日から5月末まで同じくパリに樹立された革命政権をいう。また、コミューンは、フランス地方行政上の最小管轄単位で、カントンの下部単位をなす。

[志垣嘉夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コミューン」の意味・わかりやすい解説

コミューン
commune

11世紀末から 13世紀初めにかけて西・南ヨーロッパで発展した都市の自治的共同体。コミューンにはさまざまの類型があり,その特徴としては,市民が互いに誓約し,相互防衛と相互扶助のために団結したことがあげられる。こうした共同体が可能であった理由として,都市は早い時期から経済的発展を成し遂げ,また時代的にも強力な中央集権的政治権力が存在していなかったことがあげられる。その結果,ある程度の自治を獲得し,市政上の諸問題も処理することができた。しかしコミューンの構成員は,都市の全住民を含むものでなく,実質的に支配したのは,富裕かつ有力な市民 (都市貴族) たちであり,寡頭政治が一般的な形態であった。北イタリアでは 12~13世紀に都市国家が形成され,有力な市民による政治が発達した (→コムーネ ) 。一方,11世紀末から 13世紀頃北フランスとフランドルでは,都市司教君主に対する市民の反乱が起こり,誓約共同体が結ばれて国王特許状による自治権を確立した。さらに 12~13世紀初め頃の北ドイツ (ライン川流域,北海・バルト海沿岸) の諸都市では,君主権力が衰えるに及んで都市連合を結成するにいたり,領主権力と対抗した。しかしイタリアを除き,中世のコミューンは 13世紀以降王権による中央集権政策の干渉が強まり,百年戦争の混乱のうちに衰退していった。「パリ・コミューン」などの革命的コミューンは,この概念の近代的転用であり,以後は,左翼の間で一種の政治的シンボルとなった。シンボル化の最大の契機は,カルル・ハインリヒ・マルクスがパリ・コミューンを社会主義国家の現実態ととらえて高く評価し,ウラジーミル・イリイッチ・レーニンがそれを継承してソビエトをコミューン論によって位置づけたことによる。しかし 1960年代に登場した,いわゆるニュー・レフト (新左翼) の思想においては,むしろソビエト連邦や東欧の社会主義国家に対立するシンボルとして掲げられている。これにはマルクスのコミューン論に依拠してソ連型国家を批判するものと,直接それには依拠せず,「管理社会論」に基づいて疎外の回復を自由な小共同体のなかに求める傾向とがある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コミューン」の解説

コミューン
commune

フランス中世の自治都市。イタリアのコムーネにやや遅れて12世紀に北フランスを中心に成立。本来は相互扶助にもとづく平和を誓約しあった住民の共同体で,社会の混乱や領主権の乱用に対して,秩序の安定を守るため,市民が相互扶助を誓約して団結し,王または領主から特許状により社団として公認されたものである。一般に市長などを選出して自治行政を行い,裁判権も一部独立して有したが,相互扶助の原則はギルドにより厳格に守られた。13世紀以降王権の干渉が強まり,百年戦争の混乱のうちに衰退した。

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百科事典マイペディア 「コミューン」の意味・わかりやすい解説

コミューン

中世フランスの自治都市。11世紀末から12世紀にかけて北フランスを中心に,領主権の乱用を防ぎ,政治・経済活動の自由を確保するため,共同体の住民が結成した自治団体。王または領主の特許状により公認され,一定の自治権もあったが,13世紀以降王権の干渉が強まり,百年戦争期に衰退。また,パリ・コミューンをふまえた反権力・自治の組織,私有財産を否定した平等な共同体を意味する言葉でもある。→コムーネ

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世界大百科事典(旧版)内のコミューンの言及

【フランス】より

…しかし,1982年ミッテラン政権の下で地方分権化の改革案が議会を通過し,年来の制度にも新しい変化がもたらされることになった。 フランスは,96の県département,四つの海外県département d’outre‐mer,四つの海外領territoire d’outre‐mer,二つの(海外)地域公共団体collectivité territorialeから成り,約3万6000の市町村communeをもっている。1964年以来新たに21(のちに22)の〈地域〉(レジヨンrégion)が設けられ,広域的な地域開発圏として機能するようになった。…

【共産主義】より

…現実に1840年代から1870年代の初頭にかけて,共産主義は資本主義社会を暴力的に転覆するための革命行動を意味し,社会主義は議会政治への参加等の合法的・立憲主義的手段によって経済体制を生産手段の国有化の方向に向かって改革する運動を指していた。しかし1871年のパリ・コミューンの崩壊を転機として,両者の区別は曖昧になり,むしろ共産主義という言葉が消滅したかのように見えた。フランス語のコミューンcommuneは市町村の行政単位を指す言葉であるが,マルクスは1871年に刊行された《フランスにおける内乱》で,コミューンの代表者からなる政府を〈本質的に労働者階級の政府であり,有産階級に対する勤労階級の闘争の所産であり,労働の経済的解放を達成することができる,遂に発見された政治形態である〉と述べた。…

【コミューン都市】より

…主として北フランスに分布し,住民が結成した〈コミューン〉という宣誓共同体の運動の結果,領主・国王から〈コミューン証書〉を付与されて種々の特権を享受し,かつ住民により選挙された市政官の団体によって運営される都市をいう。コンシュラconsulat都市およびフランシーズfranchise都市と並ぶフランス中世都市の一類型。…

【対抗文化】より

…〈すべてを権威的把握におしこめてしまう言語からの解放の第一歩は,どこかへ行けば言語の外になってしまうような場所があるという実感をもつこと〉(D.ラミス)だったから,マリファナやLSDなどのドラッグによる〈トリップ〉,ロック・ミュージック,サイキデリック・アート,非正統的な諸宗教が空前の流行をよんだ。それらに媒介されて〈拡張された〉意識によって,テクノクラシーのもとで支配的な権威を与えられている〈客観的〉意識から解放された〈著しく個人至上主義的な共同体感覚〉に基盤を置くニューレフト(新左翼),ヒッピーコミューン生活者によって対抗文化は担われた。 〈対抗文化〉という概念を社会的に確立したローザクTheodore Roszakの《対抗文化の形成》(1968)によれば,その核心にあるのは近代合理主義のもたらした科学的世界観を相対化する,シャーマニズム的な世界観の導入だった。…

【地方自治】より

…1789年の国民議会はプロバンスを廃止したが,これに代えて86の県を設置し,これを官選知事に統轄させた。このとき,多様であった自治体は画一的なコミューンに統一され,このコミューンは合議制の執行機関が統轄するものとされたのである。しかしながら,コミューンの合議制執行機関と中央政府との間に紛争が頻発したため,ナポレオンは,コミューンの統轄機関を独任制に改め,かつこれを官選とした。…

※「コミューン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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