全共闘(読み)ぜんきょうとう

精選版 日本国語大辞典 「全共闘」の意味・読み・例文・類語

ぜん‐きょうとう【全共闘】

全学共闘会議」の略称。昭和四三年(一九六八)、各大学の学生が結集して、既成の自治会組織とは別に組織した運動体。のちに新左翼諸派も参加、当時の学生運動の中心的存在となった。
※焼け跡闇市派宣言(1969)〈野坂昭如〉四「安田講堂にたてこもった全共闘諸氏に注がれる放水の列をながめていて」

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デジタル大辞泉 「全共闘」の意味・読み・例文・類語

ぜん‐きょうとう【全共闘】

《「全学共闘会議」の略》昭和43~44年(1968~1969)の大学紛争の際、既成の学生自治会組織とは別に、無党派学生らが各大学で結集してつくった運動組織。のち、新左翼諸党派も加入

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大学事典 「全共闘」の解説

全共闘
ぜんきょうとう

全学共闘会議の略称。大学内で生じたさまざまな課題をめぐって,学部セクトを超える形で,ノンセクト系学生や一部のセクト系学生によって結成された大衆運動組織。1960年代中期,各地の大学で学内諸問題をめぐる大学闘争が多くの学生を巻き込んで展開され始めた。この動きはさらに広がり,1968年(昭和43)には日本大学,東京大学で日本大学全学共闘会議,東大闘争全学共闘会議という二つの代表的な全共闘が生まれた。その後,全国の多くの大学に全学共闘会議を名乗る運動組織が続々と誕生し,60年代後半の全国学園闘争の中軸的担い手となった。戦後組織された各大学の学生自治会組織を「ポツダム自治会」と呼び,学生たちの直接民主主義による運動方針の決定主体として全共闘が登場したケースも目立つ。1969年には全国の全共闘の連合体としての全国全共闘が結成されたが,新左翼各セクトの影響力が強く,結局,大きな組織としての持続的展開はみられなかった。
著者: 伊藤公雄

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「全共闘」の意味・わかりやすい解説

全共闘
ぜんきょうとう

全学共闘会議の略称。1968年(昭和43)から1969年の全国的な大学闘争の主体となった運動組織。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「全共闘」の意味・わかりやすい解説

全共闘【ぜんきょうとう】

全共闘運動

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「全共闘」の意味・わかりやすい解説

全共闘
ぜんきょうとう

全学共闘会議」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の全共闘の言及

【学生運動】より

…だが,この三派全学連のうち社青同解放派が69年7月独自の全学連を結成し,四つの全学連時代に入った。 羽田,佐世保など,一連のベトナム反戦闘争後,学生運動は,1968年から69年に全共闘による大学闘争で再び高揚期を迎えた(全共闘運動)。ベトナム反戦や学費の慢性的値上げ,マス・プロ教育の進行による大学の教育的状況の破綻,学生管理の強化など,内外の状況に対する学生の憤まんが連鎖反応的に爆発し,巨大な燎原(りようげん)の火となったということができる。…

【全共闘運動】より

…全共闘は全学共闘会議の略。1968,69年の全国的な大学闘争のなかで,共産党・民青系や中核,革マル,解放など各派全学連を主体とせず,無党派学生や政治活動に比較的関心の少ない学生が結集してつくった学生の運動組織で,各大学で闘争の主体となった。…

※「全共闘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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