ゴー・チョクトン(読み)呉 作棟(その他表記)Goh Chok Tong

現代外国人名録2016 「ゴー・チョクトン」の解説

ゴー・チョクトン
呉 作棟
Goh Chok Tong

職業・肩書
政治家 シンガポール名誉上級相・通貨庁上級顧問 元シンガポール首相

国籍
シンガポール

生年月日
1941年5月20日

出生地
英領シンガポール

学歴
ラッフルズ学院(シンガポール)卒,シンガポール大学経済学部〔1964年〕卒,ウィリアムズ大学

勲章褒章
旭日大綬章(日本)〔2011年〕

受賞
ジャワハルラル・ネール賞〔2004年〕

経歴
貧しい家庭に生まれ育ち、苦学して奨学金を得て、米国ウィリアムズ大学で開発経済学の修士号を取得。帰国後、1969年海運会社の国営ネプチューン・オリエント・ラインズ入社。目覚しい業績・昇進リークアンユー首相の目にとまるきっかけとなり、’76年シンガポール国会議員に初当選。’77年35歳の若さで財務担当国務相、以後、’79年商工相、’81年商工相兼保健相、同年保健相兼第2国防相、’82年国防相を歴任。’85年第1副首相兼国防相、’90年11月リー首相の辞任に伴い首相兼国防相に就任。’91年6月国防相辞任。’92年12月人民行動党(PAP)党首。’97年総選挙では定数83のうち81議席を得て圧勝した。2004年8月退任し、首相職をリー初代首相の長男のリー・シェンロン副首相に委譲同月、上級相、通貨庁会長就任。2011年5月上級相、通貨庁会長辞任。同月名誉上級相、通貨庁上級顧問。身長190センチの長身で温厚なナイス・ガイとして知られ、首相在任中には国民に高い人気を得たが、リー初代首相の影響力を受け続け、民主化を推進することはなかった。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴー・チョクトン」の意味・わかりやすい解説

ゴー・チョクトン
Goh Chok Tong

[生]1941.5.20.
シンガポールの政治家。中国名は呉作棟。シンガポール大学経済学部を卒業後,官界に入り,のちにウィリアムズ大学で開発経済学の修士号を取得。赤字だった国営船会社ネプチュン・オリエントの経営立て直しで認められ,1976年には当時のホン・スイセン大蔵大臣の推挙を得て与党人民行動党より総選挙に出馬,国会議員に初当選した。以後,貿易工業大臣,保健大臣などを歴任。早くからリー・クアンユーの後継者候補の一人と目され,1985年に第1副首相兼国防大臣となり,その地位を不動のものとした。 1990年リー・クアンユーの首相引退により首相に就任。 2004年上級大臣就任。

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