ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リー・クアンユー」の意味・わかりやすい解説
リー・クアンユー
Lee Kuan Yew
[没]2015.3.23. シンガポール
シンガポールの政治家。首相(在任 1959~90)。中国語名は李光耀。中国移民の 4世。英語を母語として育ち,中国語およびマレー語,タミル語は政界入りしたのち身につけた。第2次世界大戦後,イギリスのケンブリッジ大学に留学して法律を学び,1950年シンガポールに戻ってからは労働組合関係の弁護士として活躍するかたわら,イギリス植民地からの独立運動に身を投じた。1954年人民行動党 PAPを創設し書記長となった。1955年新憲法下初の立法評議会選挙で議員となり,イギリス連邦の自治州としての地位獲得交渉で活躍。1959年完全自治獲得後の最初の選挙で大勝し,自治州首相に就任。1963年9月,マレーシア連邦結成時にシンガポールも一つの州として参加したが,1965年8月にマレーシア連邦から分離独立,リーは初代首相に就任した(→マレーシア紛争)。以来国民の支持のもとに党内左派を抑え,非同盟中立政策(→非同盟主義)を掲げ,外資導入による工業化を目指して経済発展に大きな成果を上げ,シンガポールを東南アジアの主要な金融センターに育てた。強権政治との批判も受けたが,同国の近代化と安全の確保に優れた手腕を発揮した。1990年に 31年間務めた首相の地位を退いたのち,首相府上級大臣としてゴー・チョクトン首相を補佐。2004年長男リー・シェンロンの首相就任に伴って内閣顧問となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報