改訂新版 世界大百科事典 「シジェドブラバン」の意味・わかりやすい解説
シジェ・ド・ブラバン
Siger de Brabant
生没年:1240ころ-81か84ころ
中世のアリストテレス主義者,いわゆるラテン・アベロエス主義の代表的哲学者。ベルギー,ブラバン侯爵領出身,パリ大学で哲学を学び,人文学部教授として大きな影響力をふるい,アベロエス(イブン・ルシュド)の解釈を経たアリストテレス哲学を哲学そのものと同一視する学派の中心人物となる。その学説は1270,77年にパリ司教による異端宣告を受け,オルビエトの教皇庁に逃れたが,そこで精神錯乱した彼の秘書に刺殺されたと伝えられる。同時代人によるシジェの哲学者としての評価は高く,ダンテは彼を天国でアルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクイナスと同列に置いている。シジェは世界の永遠性,知性の単一性,個人霊魂の不滅性の否定など,キリスト教信仰に反する哲学説を,蓋然的ないし必然的な哲学的結論として固持したが,それらを〈真理〉とは呼ばなかった。彼にとって真理はカトリック信仰のみであり,したがって宗教と哲学とを分離したものの,二重真理説を唱えたのではない。
執筆者:稲垣 良典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報